◎「口伝有り」と「也」

 大東流合気柔術の巻物など、武術伝書には一つ一つの技の形を文章解説したものがある。
 
 「敵、〇〇するところを、我、〇〇して敵を制する也 口伝有り」と云う様に、技の描写の後には「口伝有り」と云う文言が付加されるケースが多い。
 義経流柔術や罪人捕秘法の伝書なども、一つ一つの技の解説文の最後には、必ず「口伝有り」の一言が付加されている。

 この「口伝有り」の意味がハッキリしない。おそらく、

①秘伝技の全てを文章化せず、肝心な部分は口伝で継承する。そうすることで流儀の秘密を完全に護る。
②技の内容を短い文章で表現するのは困難なので、それ以外の膨大な情報は口頭で伝える。

と云う意図かあるのかと当初は思っていた。

 ただ、最近は、「口伝有り」の意味に別の意図を感じる様になった。

 伝書に書かれた技の解説文は、それだけで完結しており、敢えて詳細な補足をしたり、肝心な部分を秘匿したりする必要はない。

 つまり、「口伝」=秘伝ではないし、「口伝」=詳細解説や要点解説でもない。

 「敵、〇〇するところを、我、〇〇して敵を制する也 口伝有り」と云う文章末尾の「口伝有り」は、技の「裏」と「奥」を示しているのではないだろうか?

 「裏」と云うのは、「返し技」や「封じ技」の事。「奥」と云うのは、技を返されたり封じたりされない為の秘訣。

 「技」を破る為に「裏技」が存在し、「裏技」を無効化する為に「奥義」が存在する。それらを口頭で伝承するのが「口伝」なのではないだろうか。

 大東流伝書の各技解説文の最後には「口伝有り」の一言が添えられていない。古い時代に作成された伝書を見ると「口伝有り」の一言が付加されていることが少なくない。
 又、江戸期に記された文章には句読点(「、」「。」)が無く、文章は「也」で終わることが多い(「也」は「。」の代用と考えれば分かり易い)。大東流伝書に記された文を読むと文末は「也」ではなく「事」になっている。

 巻物の文中に「口伝有り」と「也」が無いからと云って、大東流伝書の成立時期が明治以降であるとの証拠にはならないのだが、伝書成立の時期が比較的新しいのではないか(=明治以降)と云う印象を持たれる要因にはなっていると思う。