◎再考=剣術と体術の関係性について

 高橋賢著『佐川幸義伝 大東流合気剣術』を読んだ。この本の副題は、「剣を知らなければ、合気はわからない」である。

 本の前書きには「剣の理を心得ねば、大東流合気柔術の体得も難しい」「合気柔術の起源が剣にある」等の記述があり、本文での主張もおよそこの前書きに沿ったものとなっている。

 高橋氏に限らず、「合気は剣から生まれた」とか、「剣の動きと合気柔術・合気道の動きは共通のものがある」と主張する師範は多い。

 四方投げと剣術の形の動きが同一であるとの写真入り比較解説文を掲載した本や雑誌はいくつか見たことはあるのだが、・・・例えば、武術の動きと酷似した舞踊の動きなど、探せばいくらでも発見出来るし、「両者は同一の動きである」とこじつける事も可能だ。だからといって、武術が舞踊から生まれた、とはならないだろう。

 昔の武術の技は、剣術と柔術が混然一体だった。剣を持って戦っている最中に間合いが近くなれば、体当たりや当身を用いていたし、足払いで敵を倒したり、敵が腰に差している刀の鞘で腕を逆に極めたり投げたりする技もあった。互いに武器を持って戦っているのに、最後は、投げたり固めたりして勝負が終わる技は珍しくない。

 ちなみに、中世ヨーロッパの武術絵伝書を見ると、武器術なのか体術なのか分類不能な技も多い。又、打突系格闘技の印象が強いムエタイにも、元々、投げ技、関節技、武器操法の体系があった様だ。(伊藤武著『古式ムエタイ見聞録』に詳しい)。

 剣の理合いと体術の理合いが一致するのは、かつて、「剣と体術の技が混然一体だった」為。「剣から生まれた体術」と「体術から生まれた剣」があるのは当たり前。

 「合気系体術は剣から生まれた」と云う主張は、「卵から鶏が生まれた」というようなもの。卵と鶏は別のモノではない。同様に、体術と剣術も別のモノではない。卵を産んだのは鶏だが、その鶏は卵から生まれた。どちらが先か、を議論することに意味はない。

 大東流合気柔術の実質的開祖である武田惣角も、「合気柔術の起源は剣にあり、剣の理を究めねば、大東流合気柔術の体得も難しい」と言っていたようだ。

 剣術の稽古が体術の上達に繋がるように、体術の稽古は剣術の上達に繋がる。

 惣角の元に集まった弟子達は、体術の習得を目的としていたので、彼らに「体術を究める為には剣術の修行も重要である」と説いたのだと思う。
 もし、惣角が剣術を専門に教授していたら、「剣は体術から生まれた。体術を究めなければ、剣の上達も難しい」と言ったかも知れない。

【私の個人的な結論】

(偉い先生方の考えや、「定説」とは異なる結論かも知れないけれど、・・・)「合気柔術は剣から生まれた」と云う説には違和感がある。

 剣術が体術(合気柔術)に多大な影響を及ぼしていると云うよりは、剣術と体術は相互に影響を及ぼし合い、昇華していった。ゆえに、剣術修行者に体術の修行を薦めるのは当然であり、同様に、体術修行者に剣術の修行を薦めるのも当然。「どちらが元になっているのか」と云う議論自体が不毛。

<次回に続く>