●不及流歩術①

◎不及流歩術についての資料

 岡伯敬が明和8年(1771年)に記した『不及先生千里善走伝』を、約90年後の文久3年(1863年)に出版した時の書名が『万民千里善歩伝』であり、その時の著者名は「岡伯敬不及斎」となっている。

◎不及流と忍術

 考証家の綿谷雪の著書『増補大改訂 武芸流派大事典』によれば、「不及流歩術」の開祖は岡伯敬で、この歩法は伊賀忍者に代々伝えられて来たものである、と記されている。

 この記述には誤りがある。

 岡伯敬は不及流の創始者ではない。不及先生より岡伯敬に伝えられたものである、と岡本人も記している。
 又、伊賀忍者の研究者によっても、伊賀忍者と不及流歩術の関係性については、明確な資料は未だ発見されていない。
 ちなみに、『奥の細道』の記述内容から、芭蕉は一日五十~六十㎞ほどの距離を移動出来た様で、そのことから「芭蕉は忍者だったのではないか」、と云う説を唱える者もいる。けれども、「不及流歩術を用いれば、一日四十里(約百六十㎞)が可能である」と、著者の岡は言っている。

◎「一歩」の定義

 「歩」は長さの単位でもある。「一歩」とは左右の足を踏み出した長さの事で、手尺で六尺(約百三十五cm)。
 現代の私達が用いる「一歩」は、片足のみを踏み出す事で、昔はこれを「半歩」と言った。
 又、原本では「左を六歩、右の足を四歩で歩く」と記されているが、「歩」には十分の一と云う比率の意味もある。

◎腕を振る

 古武術研究家の甲野善紀氏によれば、「昔の人は現代人の様に手を振って歩かなかった(=ナンバ歩き)。」そうだ。
 理由は、手を振って歩くと、その都度体が捻じれ、帯で留めているだけの和服が次第に着崩れてしまうから。
 「体を捻らないで遣う」動きは、能や日本舞踊、古武術などに普遍的に見られる。
 従って、不及流歩術に於いては、体を捻らない様に歩く事が肝要と思われる。

◎「腰を据え」の意味は、歩行中に腰が上下動しないように留意せよ、との意であろう。