[コラム]何故、敵は手首を掴んで来るのか?

 合気武道や柔術などの稽古では、相手に手首を掴ませたり相手の手首を掴んだりと云った動作が多い。
 けれども、「暴漢がいきなり顔面を殴って来た」という話はよく聞くが、「暴漢が左右の手首を掴んで来た」などと云う奇妙な話は聞いた事が無い。
 手首を掴んで来た相手に技を施す稽古は、果たして実戦に有効なのだろうか? 拳や蹴りに対処する技法に比重を置いて日々の鍛錬を重ねた方が、より現実に対処出来るのでは・・・・・?

 カナダの脳神経外科医ペンフィールドが、患者の脳の特定の箇所に電気刺激を与え、人体のどの部分に対応しているかを細かく調べ、脳の表面に人体の形をなぞったら、「手」が異常に大きい「こびと」の姿が描かれた。(ペンフィールドの小人とかホムンクルスと呼ばれている)
 この小人を見ると、人体に対応する脳のかなり広範な領域が「手」で占められている事が解る。つまり、「手」という小さなパーツに対して、脳はかなりの広い領域を使用している訳だ。

 そういえば、手先を動かす事がボケ防止につながる事や、知能の発達と手先の器用さとの関連性は昔から良く知られていた。手と云う小さなパーツを刺激する事は、脳の広範な部分を刺激する事になる。

 手を動かし刺激する事は脳の発達に有効であり、脳が発達すればより精妙な動きや感覚も会得出来る。このような相乗作用が合気系武道稽古の利点なのかも知れない。先人達はその事に経験的に気付いていた可能性がある。

 人体の動きや感覚を司るのは脳の「運動野」と「感覚野」の領域である。神技を体現する為には、筋肉を鍛えるよりも脳を鍛えた方がより合理的であるという悟りから、結果「合気上げ」の様な稽古方法が考案されたのかも知れない。
 そう考えれば、拳や蹴りを捌く稽古よりも、手首を掴ませ、感覚を研ぎ澄ませて身体操作する稽古の方が、ある意味「実戦的」かつ「効果的」であるという評価も出来る。



《最後の合気論 おわり》



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