五来重著『日本の庶民仏教』講談社学術文庫
仏教思想全体として、
「悟りの仏教」から「救いの仏教」への転換が図られた結果として、
天台の念仏聖が京都の市中に出て布教を行ったことから、
「聖」という存在に注目が集まった。
叡山浄土教としては、
源信の「観相の念仏」を一つのピークとして確立されたのだったが、
次には、「口称の念仏」として、私度僧たる聖によって大衆化されたのだが、
このことは、京都という大都会において初めて成り立ち得た、
従って、庶民信仰と一口に括ってみたところで、
都市での信仰と、地方での信仰とでは、
おおよそその信仰内容を異とするものであると、
私なんかは思ってしまう。