「ブギウギ」と「虎に翼」:NHK | 京都暮らしの日々雑感

「ブギウギ」と「虎に翼」:NHK

「ブギウギ」が終わって、

魅力ある主人公のヒロインのキャラが好ましくて、

結構しっかりと見ていたのだが、

最終段階で、

作曲科の先生が「人形遣い」で、

主人公のヒロインがその人形」と意味づけたのだったが、

実に「アホか!」という脚本なのでありました。

二人の関係は「協働関係」とすべきなのであって、

「遣う者と遣われる者」といった、使役=被使役の関係ではなかったはずなので、

これでは、女性の側の「主体性」といったものがまるっきり捉えられない。

ドラマ全体のコンセプトを、完璧にぶち壊したのだった。

もっとも、先生(弾性)の存在があって初めて、自分の人生もあり得たという、

言わば「男女共生社会」を主張したとも言えるかも知れないのだが、

それほど気の利いたものとはなっていなかった。

 

従って、通俗的なヒロインの出世譚に終始してしまったから、

視聴率も期待したほど出なかったのも頷ける。

 

せっかくの魅力的なヒロインをキャスティングしておきながら、

「無駄遣い」をしてしまったわけで、NHK大坂のドラマ作りの「劣化」を感じるのである。

 

新たに始まった「虎に翼」。

女性がいかに差別され虐待されているかをグズグズと言い募り、

女性にとって結婚とは?と問うという、

50年も昔にはやった問題の立て方を未だに踏襲するという、

時代錯誤というか、陳腐極まるというべきか、

ドラマを観ていると腹立たしいのである。

 

ここで論じられている問題は、

江戸期に武家を中心に主流思想であった儒学=朱子学の反映であって、

維新後には、官僚や大企業のホワイトカラー層が担った思想的所産であったのである。

それに対して、一般の庶民層(商工自営業者など)では、

とっくにそんな問題は解決済みの観念であったのである。

だから、この種の問題意識というものは、

現在では、都市部の大企業のホワイトカラー層での問題意識として残渣している問題で、

私ら戦後生まれの団塊の世代にあっても、

妻たる者は専業主婦として家庭内で家事育児に専念し、

夫たる者は、その家計を十分に充足するべき収入を得ることという、

いわゆる役割分担論にこだわってきたわけである。

だから、「そんな人生で良いのか?」という問題意識を生み出したのだが、

妻を専業主婦とすることこそ夫たる男のプライドであるという、

そういう意識に広く呪縛されてきたのであった。

 

しかしながら、そのような生活パターンが維持できなくなって、

つまり、上級のホワイトカラーという地位を子供たちの世代においても継承しようとすれば、

それなりの生活レベルと教育コストを掛けないといけないのだが、

夫一人の収入では、世間的には高給取りとされても、

とてもまかないきれない。

で、その備えとしてどうするべきか?というのが、

団塊世代の主要な人生観を占めてきたのであったが、

何かうまい方策があったわけではない。

だから、いわゆる専業主婦論というものが成り立たなくなったわけである。

言い替えると、旧前たる儒学=朱子学の伝統思想が成り立たなくなった時代に至ったわけである。

 

ともあれ、NHKのドラマ作りにあっては、

エリートと目される女性が、

官僚機構にあっていかに男性社会の桎梏を超脱していくか?という、

そういった努力の過程を描くというコンセプトであったなら、

何か新しいものを提示できるかどうかに掛かってくるのだが、

枠組みとしては古くさい使い古された陳腐なものであるから、

結論は既に見えている。