書店が消える | 京都暮らしの日々雑感

書店が消える

書店がいつの間にかその姿を消していって、

それが出版社の売り上げにも深刻な影響を及ぼして、

もはや座視していて構わないという訳にも行かない事態となっている。

ただ、こんな事態は既にかなり以前から警鐘が鳴らされてきていた問題で、

何を今更と鼻白む向きも多いとは想う。

 

問題の解決は、実は簡単なことで、

廃業や倒産が続出する書店小売業界で、

それを上回る新規起業者なり開業者が出てくれれば良い問題だから、

その新規起業者なり開業者の営業利益が確保できるように、

一定の「補助金」を支給するようにすると解決する。

「補助金頼り」といった経済政策が有効かどうかは分からなあいが、

例えば半導体業界に投ずる莫大な補助金や助成金を見れば、

出版業界や書籍小売業界に投ずべき補助金なり助成金というものは、

言うなれば「雀の涙」程度のものでしかないから、

すぐにでも踏み切れる政策であるだろう。

 

そもそもが、補助金なり助成金をばら撒けば経済政策として成り立つといった脳天気な発想は、

とてもまともな発想とも思えないのだが、

「裏金」とか「闇資金」といった脱法稼ぎに浸潤された政権の下では、

「更にいっそうばら撒け!」と期待するのが正しい。

 

しかし、まぁ、問題は書店だけにとどまらない。

街から、レコード店が姿を消したのはいつの頃だっただろうか、

CDショップが生まれては姿を消し、

ビデオ店が生まれて消えたのもいつの頃だったか、

文房具店が消え、ガソリンスタンドが消え、

生鮮食料品を小売りする店が消えていったのである。

現状では、物流業界においてさえもその「聴き」が叫ばれている。

物流が正常に機能しないと、あらゆる小売業が成り立たないんだけれども。

 

「本が買えない」

「本を購入するのに、異様に手間暇が掛かる」という事態は、

私らから言わせれば、とてもまともな社会とは言えないのである。

こんな社会で生きていけるんか?と、いささか深刻に考えないといけない。