ジャスト寸法ゲージの製作技法 | 京都暮らしの日々雑感

ジャスト寸法ゲージの製作技法

ハサミゲージ製作に際しては、

一定幅の製作公差が定められており、

その製作公差の範囲内で寸法仕立てがなされていれば合格とされる。

従って、

ハサミゲージ製作に際しては、

一定の目標寸法値を定めて、

粗い粒度でのラップ加工で寸法値をその直近まで追い込んで、

それに続けて、仕立て上げるべきラップ竜吾の砥粒で以て、

そのワーク表面の粗い凹凸を消去していくという作業となる。

例えば、#1000で下仕上げを行っている場合のわー今日表面の凹凸が、

どの程度の寸法差になっているかは計算可能だろうから、

#3000の仕上げとリュ卯でこのワーク表面の凹凸を消去しようと捨て場、

それに適した加工ストローク作業で目的が完遂できるという話になる。

論理的には、目標とする寸法値そのものを確実に実現できるはずなのである。

しかしながら、実際の作業においては、層はならない。

そもそも、下仕上げを行った場合の#1000のラップ痕というものは不均等なもので、

最終仕上げを行うべき#3000のラップ砥粒というもののラップ能力というものも不均等なのである。

従って、結果として、目論見通りの寸法値に仕立て上がるというのではなくて、

寸法の追い込みが足らなくて、目標より小さな寸法となったり、

追い込みすぎて、仕立て上がり寸法が過大になったりする。

 

つまり、このことは、遊離砥粒ラップ/湿式という、

ハサミゲージ製作の技法それ自体にまつわる『病理』であって、

遊離砥粒ラップ/湿式の技法においては、

ラップ砥粒のラップ力が必ずしも一定しないという結果なのである。

このラップ砥粒のラップ力の不定という事態は、

WA砥粒であれGC砥粒であっても、

ラップ加工というストローク動作においては、

砥粒それ自体が崩壊してその粒径が微細に破砕されるということもあり、

その他いろいろな要因によってもたらされる不都合なのである。

 

遊離砥粒ラップ/湿式の技法を改めて解明すると、

『粗』から『密』へとラップ加工の工程を進めていく場合、

その前段階でのワーク表面の凹凸を、

次の段階でいっそう微細なラップ砥粒のラップ力で消去していくという作業になるのだが、

ラップ砥粒が微細になればなるだけ、そのラップ能力は低下するから、

せいぜいが前段階でのワーク表面の凹凸を消去していくという作業がせいぜいで、

例えな#3000の砥粒でいったん仕立て上げたワーク表面を、

そこから更に1~2㎛の寸法を摺り下ろそうとすると、ひどく難儀する。

 

つまり、ハサミゲージ製作を「微細加工技術」と呼ぶならば、

#3000なら#3000でのラップ力が正しく発揮され、

#6000なら#6000でのラップ力が正しく発揮されなければならない。

つまり、問題の解決のために考えなければならないことは、

遊離砥粒ラップ/湿式による製作技法での、この「ラップ力」というそれ自体の過大なのである。

 

ラップ力というものを考えると、

SK工具鋼に対しては遊離砥粒ラップ/湿式の技法は有効であるのだが、

ダイス鋼に対してはほとんどルウ要しない。

従って、ダイス鋼製ハサミゲージというものを完成させようとすれば、

遊離砥粒ラップ/湿式の技法よりもいっそうラップ力の大きな技法、

つまり、固定砥粒ラップ/乾式の技法に向かわざる得ないわけで、

従って、ジャスト寸法ゲージというものは、この固定砥粒ラップ/乾式の技法の下で、

確実に実現できるものであると言えるのである。

 

もっとも、SK工具鋼製ハサミゲージの製作において、

このジャスト寸法ゲージの製作が可能だとする技能者も存在する。

大変な円熟した技能者によって初めて可能となる世界であるから、

誰でもが製作可能となしえる世界ではないのである。

 

ところが、ハサミゲージ製作の世界で文字だが進み、

ハサミゲージの新規製作の要求が寄せられる場合にあっては、

ハサミゲージ製作公差の規定に従って、その製作寸法公差の最小値寸法ジャストで製作すべし、という、

そういう条件が付されるケースが多くなっている。

私からいわせれば、公差最小値寸法での製作ということは、

ゲージ屋にとっては当然のわきまえというスタンスでいるから、それで良いのだが、

ジャスト寸法値での製作にうまく対応できるところばかりではない。

ゲージ屋の修練の過程で、

製作公差の範囲内でいかに手早くハサミゲージを完成させるか?という修練を積むから、

ジャスト寸凹ゲージが要求されても、それに必要な修業は学んでいないというわけである。

「ジャスト寸法ゲージというのは、普通の場合の3倍の割り増しを付けてもらっても、

 とても引き合う仕事ではない」という嘆きは、

もう半世紀も前から語られていた問題であったのである。