東アジア反日武装戦線
事件後半世紀も経ての自らの「告白」。
過去の亡霊が現れたの如くに、異様な反応を呼び起こすのだが、
「幾ら追いかけ回しても、もうすぐお前等の手の及ばないところへ逃げ切るんだよ!」と、
あざ笑うかのような仕儀だから、
公安当局も、怒りを込めての追加捜査に走ることになる。
当時、一定の影響力を持った「窮民革命論」は、
現在にあっても、十分に検討され克服されたわけではない。
歴史的に見れば、この「窮民革命論」は、例の「オウム真理教事件」に引き継がれたわけで、
あのオウム事件を、
奇怪・奇矯な宗教団体がしでかした暴走事件と解釈する立場がほとんどなのだが、
宗教団体を偽装した暴力革命集団の謀略事件と解すると、
あのオウム事件もまた違った評価がなされるべきことが見えてくる。
つまり、庶民レベルでの革命エネルギーか宗教運動を偽装しつつ蓄積・展開され、
いずれは何らかの形で革命闘争として歴史に登場するという期待と願望を集めたのだったが、
アホみたいな「自滅」で終わったのだった。
「格差」がどうこうと言うよりも、
中産階級が音を立てて崩落していっている現在なのである。
政府の対策といえば、
「窮民救済」と言わんばかりに「現金給付」で済まそうとしているのだが、
こんなことは「政治対応」でもなければ「社会政策」にもあたらない。
蓄積された革命的エネルギーにおいて、
誰がどのような「前衛」に立つかが、問われるわけである。