迷うことがあったり、
楽をしたくなったり、
辛くなったり、
困ったりした時に
自分自身を前向きに行動させるため読むのが、
二宮尊徳の言葉
「大事をなさむと欲せば小なる事を怠らず勤しむべし。
小積もりて大となればなり。
およそ小人の常、大なる事を欲して小なる事を怠り、
出来難き事を憂いて出来易し事を勤しめず。
それゆえ終に大なる事をなすことを能わず。
それ大は小を積んで大となる事を知らぬ故なり。
たとえば百万石の米とも粒の大なるにあらず。
万町の田を耕すも其の業は一鍬づつの功にあり。
千里の道も一歩づつ歩みて至る。
山を作るも一もっこの土よりなる事明らかなるに弁へて、
小さなる事を勤しめば、大なる事必ずなるべし。
小さなる事をゆるがせにする者大なる事は必ず出来ぬものなり。」
という一般的に知られている”積小為大”のたとえです。
『二宮尊徳夜話』
にはその続きがあるのです。
それは、
「翁曰く、万巻の書物ありと雖も無学の者に詮なし。
隣家に金貸しありと雖も我に借りる力なきを如何せん。
向ひに米屋ありと雖も銭なければ買ふことはならぬなり。
されば書物を読まんと思えば、いろはより習い初むべし。
家を興さんと思はば小より積み初むべし。
此のほかに術はあらざるなり。」
前の文章に続いてこの文章を読むと
たとえがより具体的になっていることが分かります。
人間学を学ぶ月刊誌『致知』5月号の
総リードの中に二宮尊徳が
幕末の動乱期にあり、荒廃した全国6百余村を復興し、
疲弊した藩の財政を再建したことに
ついての話しが取り上げられています。
荒廃した農村の村人達は
復興意欲が決して高くはないものと容易に想像つきます。
貧困にあえぐと心も貧困になってしまうのも致し方ないかもしれません。
そのような状況下にある人の心を
復興への歩みへと誘うために
積小為大の言葉を二宮尊徳は何度も何度も
幾人にも話し聞かせたのではないでしょうか。
村人が諦めていても
二宮尊徳は諦めることをしなかった。
それは二宮尊徳が積小為大の生き方
日々コツコツと当たり前のことを当たり前に
実践することを厭わなかったからに違いありません。
二宮尊徳の伝記を何度も読んでいて
自分もかくありたいと思うのですが、
ついつい目先の欲求に動かされ
自分に甘くなってしまいがちです。
昨日の自分を今日は超えます!