最近我が家にヘルパーさんが

やってくるようになった。


マミー(義理の母)の足腰が弱り

買い物に行けなくなり

入浴できなくなり

介護パンツをはくようになった。


相変わらず毎日

「もう死にたい」と、嘆いている。


一日中

一人でぼんやりしている。


テレビでも見たらと聞いてみたら

「テレビ見てても

死ぬことばかり考えていて

頭に入ってこない」

とのこと。


本当に死にたいのか

本当は死が怖いのか。


死に向かって何もできなくなるのが

怖いのか。


自分が生きてる間のことも

自分が死んだ後のことも

私たち夫婦や

家から着物のことまで

心配だらけで

96歳のマミーの日課は

悩むことになってしまっていて

ふとした瞬間に悩みの沼に落ちて

嘆いたり泣いたりしている。


悩みの沼から引き上げたいけど

助けの手は

なかなかマミーの心まで届かない。


生きることは

最後の最後まで大変なことなんだなぁと

マミーを見ているとしみじみ思う。



今私は

青年劇場で

『マクベスの妻と呼ばれた女』という、

シェイクスピアの『マクベス』を

マクベスの妻を主人公にして

仕立てかえた物語を演出していて

女性の生き方について考えることが多い。


最近、新聞の一面に

賃金や貧困率の男女格差についての記事が

大きく載ってるのを目にした。


日本は

男女平等については

明らかな後進国なんだろう。


それでも現在、

先進国であるということは。

劣悪な環境にめげずに

一生懸命生きてきた女性が多いってことには

ならないかな。


日本女性は、誰が認めてくれなくとも

自分で誇りを持つことに

長けているのかもしれない。



マミーの誇りは

90歳をこえても何もかも自分でやって

自立して生活していること

だったことは間違いない。



プライドを持たなくちゃ

シャンとして生きていけないけど

死に向かう時

そのプライドを

無理やり手放させられることになる。


『マクベスの妻と呼ばれた女』の中の

マクベス夫人は

プライドを保ったまま自害する。



頭の中で、

マクベス夫人と

実在のマミーという女性の

誇りと嘆きがこだまして

色々考えさせられる日々。


(3月9日の日記でした)