2月8日(土)


『わたしの紅皿』チームで

2回目の取材旅行。


この日は、靖国神社の敷地内にある

遊就館という資料館に行ってきた。


主な目的は第二次世界大戦に従軍した

人々の手紙などを見るため。


遊就館は

数年前にリニューアルされたらしい。


展示室に入ると

神武天皇、日本武尊からはじまり

日本の武士道の変遷が

細かに説明されていた。


この日は、各自それぞれ自由に見学して

自由に帰ることにしていたので


私は、神話の時代から

戦の歴史を確かめてみようと思い

特に歴史の前半の説明書きを

何度も読み返しながら見ていった。


靖国神社が創建されたのは

戊辰戦争終結の後。

明治時代の始まり

近代国家としての日本の始まりと同時で

戊辰戦争の戦没者の慰霊のために

建立されたとのこと。


官軍側について戦った秋田県のある村で

戦没者を村の守護霊として祀ることになり


それに習うかたちで、中央政府も

戊辰戦争の戦没者の霊を英霊として

祀ることになり

靖国神社が建てられた。


というような説明。


つまり

ここには賊軍と呼ばれた側の戦没者は

祀られていないのか。



戊辰戦争の後も

西南戦争など、内戦が起きているので

負けた側の戦死者のことなど

思いやる余裕はなかったのだろうけど。



2年前に弘前の最勝院で見た

五重塔のことを思い出した。


この五重塔の前には

「津軽統一の過程で

戦死したすべての人たちを供養するために

作られたとされる。

敵味方の区別なく平等に供養し

供養塔として建立した点において

博愛思想を示す塔になっている。」


という説明書きがあった。


わたしはこれを読み

統一したリーダーの度量の大きさを感じて

とても感銘を受けた。


つい、

靖国神社を比べてしまった。


靖国神社の神さまは

今もなお敵を想定して

味方を守るために

祀られているのかな。


もし私が賊軍の末裔であったなら

ここをお参りしていいのだろうか。


なんだか

心が狭い神さまの姿が見えてきてしまう。


この件については

もっと考えてみたいと思った。




日清戦争から

第二次世界大戦の始まりまでは

少し急ぎ足で見ていったのだけど


遊就館の展示は

武士道精神の説明にこだわって

説明されているので

戦争の記録としては

国際的な客観性がないんだなと思った。


日本が侵略した国の人が

この展示を見たら

欠落があることに

嫌悪感を感じるかもしれない。


戦争を知らない私でさえ

日本なんて嫌いだと思った。


そんなことを思いながら

第二次世界大戦の展示室へ入ったので

従軍した方々の

手紙や遺品を見ている間ずっと

心中に警報が、なり続けていた。


英霊と呼ぶことで

美談として祀られているのではないか。

これを美談としていいのだろうか。



次の日の稽古場で

それぞれ感じたことを話してもらった。


感想や意見を交換する稽古場の中に

人の輪の力が見えきた。


この時間も演劇なのだと思う。


戦争について

1人で考えるのは難しすぎるし

悲しすぎるし苦しすぎる。


こういう難問に向き合うには

人の輪の力と

演劇が必要なんだなと、改めて思った。