2月6日

ミュージカル『十二人の怒れる男』が

開幕した。


思い返すと、台本製作中の日々は

ちょっと重たい危険物を小脇に抱えて

歩き続けていたような時間だった。


経験の乏しさを埋めるため

先人たちの翻訳に潜り

原作の言葉の湖を泳ぎ

数の足りていない

ミュージカルの観劇体験をひっくり返し

配信されているミュージカル映画を

何度も再生した。

ヒントはすべて霧の中にあった。


だけど音楽がつき、稽古が始まると

不安はあとかたもなく消えていた。


ミュージカルの稽古場には

作曲家がいて、振付家がいて

歌唱指導者もいて

それぞれの感性と身体性で

台詞や歌詞に新しい血を通わせていく。


スタッフも出演者も

稽古場にいるみんなの

意見や感想を取り込みながら

目指すべき舞台表現を模索していく。


ミュージカルの演出は初めてだったので

今まで気にしたことのなかった感性の領域で

考えるべきこともあったり

1秒1秒が未知の冒険で気が抜けなかった。

それでも、みんなで作品に向かう時間は

とても楽しい時間だった。


稽古の終盤では、皆それぞれの感性で

作品の核心にある何かを

つかむことができている感覚があった。


それが可能だったのは

あつまった人々が

議論の達人だったからだと思う。


議論には、相手を打ち負かすより先に

相手を尊重する態度がいるんだなぁ。


稽古場には、人間を愛する人たちが

毎日楽しそうに集まってきて

対立する意見も

滑り気味のジョークも

難問を前にしたちょっとした困惑も

面白がって迎え入れられているような

時間があった。


そんな空気感の中で

戯曲の中の十二人の男たちの言葉も

全てが等しい重さを持ちはじめた。


発見につながる発言

「わからない」という告白

誰かを苛立たせる冗談

それを制する声

それぞれの立場の、それぞれの真剣さ


レジナルド・ローズの書いた

『十二人の怒れる男』は

人間が他者と向き合うための

激戦が描かれているように思える。

この作品が長く上演され続けている理由が

身体の底から理解できた気がした。



そんな時間の一方で

現実の世界では衆議院議員選挙が行われた。

結果は与党の圧倒的な勝利。


強い者の力がさらに強くなる感覚の中で

舞台に立ち上がった

『十二人の怒れる男』を

見つめていた時間は


猛吹雪の中で

小さな灯火に手をかざして

何かを守っているような時間だった。




最近、演劇にたずさわってるおかげで

助かってるような気がしている。


自分の属する日本という国を

理解できなくなってきていて

でも、ここから離れることはできない。


世界では、また戦争が始まった。

国って、重すぎる荷物だと思う。

もう背負いきれないよ、と泣きたくなる。


だけど私はまだ

人間を信じることはできているから。