コーチングを受け終わり、益々様々な「無意識の信念」を手放していますが、ここに来て明らかに手放せた事があります。それは


「正論をぶつけて論破をしない」


と言うこと。


数年前までの私は指導法に対しても、何に対しても


「正しいか、間違っているか」


の二元性だけでバレエと向き合っていました。ですからその時期は本当に戦っていましたし、そのような(誰が決めたかもわからないまま、声の大きそうな人が発した)正論が全てだ、と思っていました。


しかし…よくよく感じると、実は違うのです。


今日も私のサポートコーチを務めてくれた河合克人さんのブログを引用させて頂きます。


あなたが正しいと考えたことは、環境・経験で形成された個性が主張したこと。

私が正しいという主張を一生懸命やっている間は、

人の話を聞けないばかりか、自分自身を正しさで拘束し、苦しみを与えることになります。


本当にその通りです。ですから私は「正しさ」だけを追い求めなくなり、ましてや論破する事もしなくなりました。無意味なので。


そうすると、どんな現象が起きたか…


「正しい」だけを要求するのではなく、いかに「バレエと言うステキな事をやっているか」を子供たちに伝えることにより…



私の中で全てが変わりました。生徒たちは私の「鏡」であり、私も生徒たちの「鏡」であり、その中には「戦う」「論破」「競争」「修行」「我慢」と言う「無意識のバレエに対する信念」がほぼ見当たらなくなりました。



ちょうど昨日が夏至。



今日は満月(写真は昨日です。今日は曇っていてお月様は見えません)



太陽も、月も、人間のように正論を押し付けて論破もしなくて、ただ「そこにある」だけ。


その太陽や月を見て、何かを解釈することに対して

「正しい」「間違っている」と感じるのは人それぞれなはず。そこには「正論」は存在しないはず。


自分の価値観が全てで「(自分のただの主観なだけの)正論」への囚われに氣付いて、手放すと、全ての目の前の現象を俯瞰出来ます。



「論破」が悪いわけでも「正論で相手を負かしてやる」と言う人が悪いわけでもないです。


ただ単に私自身が、そのような周波数とは明らかに変わっただけで「正論で論破しない選択」を選んだだけです。


そして(私の場合ですが。皆に当てはまるとは全く思っていません)今は本当に地に足がついて、幸せな毎日を過ごしています。


55歳ですが、まるで3歳児のように好きな事だけを大事にして過ごせている感があります!


左右木健一