ザルツブルクに住んでいた頃は「劇場の国家公務員扱い」でしたから、銀行でもどこでも
「あ、国家公務員ね」
と社会的に認められていました。こんな20代前半でも…
なぜ日本を離れたか、と言うと、学生時代に
「バレエなんて職業はない!」
「大学も行かないでどうするんだ!」
「部活に入らないおまえはかたわだ」(ひどい差別よですよね?しかし昭和の教師は平氣で使っていました)
と、散々馬鹿にされてきて
「見返してやりたい」
と言う氣持ちがあったので、日本を飛び出しました。
しかし、そんな私は26歳で日本に帰ってきてしまいます。その時に待ち構えていたのが日本特有のピラミッド社会でした。
スタジオをオープンして地元の新聞社に挨拶をしに行っても
「おまえがいくら生徒を育てても、記事すら載せるもんか!」
と当時の学芸部長に言われて、泣いたのが28歳。
(その3年後、新聞社から「随筆」連載を頼まれましたが、笑)
25年ローンを組んでスタジオを建てても、社会的地位が無い自営業29歳の私に課せられていた重圧がいわゆる「抵当権」
しかし、昨年ローンは完済して、晴れて抵当権抹消となりました!
もう正々堂々と、このスタジオは私達家族のものとなりました!
社会的地位とは一体何なのか?日本で思われている「社会的地位」が無いのはダメなのでしょうか?26歳で国家公務員生活から自営業になり帰国した私の価値はゼロなのでしょうか?
こんな舞台を毎年出来ないと、バレエ教師としての地位が確立出来ないのでしょうか?いいえ。舞台制作に携わらなくても地味に生徒を育てている先生方は世の中に沢山いらっしゃいます。
コンクールの審査員を務めていないと、バレエ界では地位が確立出来ないのでしょうか?審査員を務めていなくても立派に生徒を育てているバレエ教師たちは世界中に沢山います。むしろ昔と比べて異様なまでにコンクールが増えてしまったので、コンクールの価値基準で判断出来ない状況になっていますよね?
資格が無い教師は地位が確立しないのでしょうか?
いいえ、資格なんか無くても目の前にいる子供たちを立派に育てているバレエ教師は山ほどいますし、資格があっても生徒をプロダンサーにまで育てられない教師もいます。
これは実話なのですが、ある某国バレエ団のプリンシパルのリハーサルの態度が物凄く高飛車だったのが頭にきた振付家が彼女と一緒に外に出て
「みろ!お前なんて街を歩いていたって誰も振り向かないじゃないか?勘違いするのもいい加減にしろ!」
と怒った話があります。
まさにその通りです。私がいくらオーストリアの国家公務員として実績を上げていたとしても、日本の地方新聞社から追い出されたように、周りから評価されて築き上げた地位なんて、通用しない世界もあるのです。
それを私は54年間の人生のなかで、沢山観てきましたし、自分も味わいました。
ですから「社会的地位」にこだわるのではなく「自分の地位は自分で築く」と言う必要性を感じるのです。
周りの評価なんて、その人のバックグラウンドが変われば、人は見事に豹変します。メリットを欲しがって近寄ってきた人間は、メリットが無いと思えば面白いくらいに即座に離れていきます。
それが悪い、とは言いません。そのようなパラレルも「あり」ですから。
私の場合はそれが「好きか、嫌いか?」と問われたら「大嫌いです」
その業界で「偉い、偉く無い」の価値観や色眼鏡では決して人を見ないようにしたいですし、だからこそ私はバレエ界と関係の無い方々との接点も持ち始めたわけです。
私のコーチのゆみちゃんなんて、バレエに関してあまり興味がないので(笑)この間もコンクール会場で踊る子供たちをみて
「へ〜!なんであんなに回るの?飛ぶの?」
と私に聞いてきましたし(笑)それでいいんです!
築き上げてきたことが、いくら素晴らしくても、その人が評価されてきた社会的地位やジャンルに全く興味の無い人にしてみれば、別にその価値で人を見ないはず。
私はこれから誰かと接するときは、その人が大事に積み重ねてきた実績や大切にしているジャンルは尊重しつつ、しかしその業界で認められていたであろう「社会的地位」だけでその人は判断せず
「人として、素敵だよな?」
と言う方々とのご縁を大事にしたいと思います。
左右木健一