私が自己受容コーチングを受け終わったあとは、海外コンクール審査は務めていましたが、国内コンクールはまだでしたので
「一体どのように感じるのか?」
「どんな風に外側の現実が変わるのか?」
と思って川口リリアホールに向かいました。
審査員の先生方は、私が子供の頃からの大先輩方でしたし、かれこれ11年近く審査を務めているので先生方と会話をする私自身の捉え方がどう変化していたか?も実はこっそりと自分の内側だけで興味がありました(笑)
月日が経てば様々な変化があります。しかし先生方は私の昨年からの急激な変化に対して詮索するわけでもなく、暖かく受け入れてくださいました。表面上では笑っていましたが、実は心のなかでは嬉し泣きをしていました。
私がどこに住もうが、誰と仕事をしていようが、そう言った事を全く詮索せず、以前と変わらず接してくださるのが本当に嬉しかったです。
ピラミッド社会のバレエ界、特に昭和の「根性、忍耐、修行」ある意味超村社会の噂話や悪口が大好きで、同調圧力を経てきた先輩方がフラットに私に話しかけてくださる…なんて素敵なのだろうと思いました。
コンクール審査進行も非常にスムーズで、スタッフの方々も穏やかで、さすが24年の歴史あるコンクールだと思いましたし、何よりも主宰の鈴木輝彦先生が舞台監督を務めて全参加者を見守っていると言うのもなかなか無いのでは無いでしょうか?
カナン国際バレエコンクールも、マイアミ国際バレエコンクールもそうですが、主宰者のポリシーがそのままコンクール運営に反映されるのを私は観てきました。
それは私が学んだ理論
「自分の内側が外側に反映される」
と言う事に直結していて、この頃毎回腑に落ちるのです。
その理論を元にコーチングをしてくれた私のコーチたちがなんとコンクールを観にきてくれたんです!
長年私が付き添い教師として、または審査員として過ごしてきたリリアホールに私の人生を変えてくれたコーチ陣がいるなんて!
古き時代とのお別れ、そして新しい時代の訪れがまさに今週の月、火曜日の出来事でした!
リリアホールは改装工事で2年間クローズになるみたいですね。建物にしても、人間関係にしても必ず「車検の時期のような見直し時」が誰にでも訪れるんだな?と感じました。
新幹線の時間ギリギリまでみんなと沢山お話しました!主に「精神世界」の話でバレエやビジネスの話などが面白いくらい一切なかったのがむしろ心地よかったです(笑)
コーチのゆみちゃんは私の54年間の人生年表を全て把握しているので、私がどんな人生を送ってきたか?を全部知る数少ない人です。
そんなゆみちゃんは、コーチング中はずっと私の手を握って決して離しませんでした。かと言って変な同情をして私を甘やかしたわけでもないです。時には鋭く私が封印してきた過去と向き合わせられて、号泣もしました(ゆみちゃんも号泣、笑)
コーチが手を離さないかわりに、私は辛かった過去を清算出来て手放せました。何しろコーチと手を繋いでいるわけですし、千手観音様みたいにいくつも手があるわけではないから
「誰と手を繋ぎ、誰の手を離すか」
と言う作業を5ヶ月徹底的にやる必要があったのです。
そして…やっと「自分らしさ」を取り戻して、リスタート出来たわけです。
その象徴となるべき日は、5月19日です!フライヤー完成しました!
ここまでの道のりを経て、私が言えることは
「誰も間違っていないし、誰かが合っているわけでもない」
と言うジャッジメントの無い世界は、自分で作れると言う事。
皆、だいたい
「私は間違っていない!あの人が間違っている!」
とジャッジメントが入るか、もしくは
「あの人たちが正解で、正解に賛同出来ない自分はダメなんだ」
と自己否定に走るんですよね。特にバレエの世界は
「まだまだ…もっと出来る」
「出来ない自分はまだまだ修行が足りない」
と責めていき、結果的に怪我をするか、精神を病むか…
そして指導者になればなったで
「私だって現役時代ダイエットしていた」
「こんなことくらいでくじけるな」
と生徒に要求してしまったり。
指導者同士でも
「ストレッチはやるな(やれ)」
「このメソッドは間違っている(合っている)」
「解剖学ありきだ!(解剖学なんていらない)」
とお互いの指導方針のバトルになる…
もう…本当に私の中では、その「二元論」は要らないと思っていますし、それに氣付かせてくれたのがコーチ陣や植木裕子さんや佐藤円さんたちでした。
私のなかで何度もターニングポイントがあり、その都度好転してきた!と思っていましたが、まだまだ闇が深すぎたために相当痛い目にあってきた事実に対して、こんなにも向き合うのは今回が初めてであり、徹底的に向き合った結果
「よし!この執着を手放そう」
と思えました。
支えてくださる皆さん、私を信頼してくださる皆さんに心から感謝します!
左右木健一