植木裕子さんの noteを皆さんにも読んでもらいたいです。


他人の希望や夢、価値観を真っ向から否定してくる人やエスカレートすると「それは間違っている!」と言う人もいますよね?


裕子さんのこの言葉が痛快です。


人生、戦いの中で生きてくると、勝とうっていう本能が働いて ただ人の話を聴いたりできなくなるのね~~

自分は正しい、なんなら世界で一番正しい、そして賢い

全能の神ですか~ 創造主ですか~~

バレエの世界に限らず、いわゆる競争社会にいると自然と強くなると言うか、自分の価値観のこだわりが激しくなり、自分とは違う価値観に対してもの凄い拒否反応を示す場合がありますが…

その拒否反応は全く問題ないんです。何を感じるかはその人の自由ですし、私達にも拒否反応出来る権利はあると思います。

問題なのはそこに「正解不正解」と言うジャッジメントが入り他人をコントロールしようとする行為。恥ずかしい話ですが、私も昔はしょっちゅうやっていました。それがバレエの世界において「良かれ」と思っていたからです。

以前も話したことがありますが、マレーシアのモスクを観光した際、案内してくれたおじさんが最後に

「ここは素晴らしいでしょう。まああなた達は異教徒ただから地獄に堕ちるけど」

と言われたのと同じで、恐怖を煽ってコントロールしようとする言動や行為からは

「相手に反論はせずに、にこやかに静かに立ち去る」

のが一番効果的だと言うことを、昨年から学びました。

よくよく考えてみると戦争がいつまでも繰り返されるのは(もちろん戦争ビジネスで誰かが儲かる仕組みもありますが…)だいたいは価値観、宗教観の相違から来る些細なすれ違いを「力づくで」相手を封じ込める行為が国ベースで行われるからではないでしょうか?

そう考えると、そんな小さな戦争は人間関係でも同じようにあちこちで行われており、しかしそれをストップさせる方法があります。

「他人にかまわない事。合わないのであれば否定をするのではなく、静かにその場を立ち去り、争わない事」

そうすれば、誰も傷つかないのです。他人をリスペクトすると言うのは、ただ相手に自分を我慢して合わせるわけではなく、相手のやりたい事には干渉しない(そのかわりに自分のやりたい事も他人に干渉されない)と言うのがコツではないか?と思うのです。

「誰が正しい、誰が正しくない」

の二元論からの脱却が、今の時代に求められている氣がします。

私は日本に生まれた日本人です。それを否定されたり誰かに「日本国籍なんて許せない!」と言われる筋合いは無いのと同じで、他人の国籍、肌の色、価値観、宗教観に至るまでを自分の価値観でジャッジはしない。ただ静かに「相違を認める」だけで良い。



それは日本人同士も同じこと。


恐怖で人をコントロールして争ったり、同調圧力で無理矢理同意を求めたり、逆らう人を村八分にするのではなく、他人に干渉をせず、干渉されない世界を創り上げていければ?


生きづらさはきっと解消されると思います。

左右木健一