マルコ・ゲッケの事件は本当に心を痛めます。


私も昔、ある批評家に


「おまえなんか、大した経歴ないんだから」


と言われたり、作品を馬鹿にされたりしました。


あらゆる批評に芸術家は耐えなくてはいけないことは、ダンサーや振付家なら覚悟は出来ているはずですが、ゲッケの場合、それが20年も続いていたらしく…


同じ人物に20年間酷評されて、平気な人間は果たしているのでしょうか?


彼の作品は私は好きですが、そうでない批評家もいるでしょう。しかし執拗に何十年も酷評をし続けるのには、何か意味があるのか?と勘ぐりたくなります。


彼の行為は許されるべきものではないとは思いますが、人間は精神的に追い詰められた場合、それに耐えられるのか否か…


一般のお客様にしても、言いたい放題言いますし、私が子供の頃、発表会で幕が開いたとたん、私の姿を見た大人が


「気持ち悪い!」


と騒いで馬鹿にされた経験があります。確かにカッコ悪い衣裳でしたから、馬鹿にされて当然ですが。


そんな人の批判に対して、舞台に出演する側、作品を創る側は、何も反論出来ずに耐えるべきなのでしょうか?


私もそのようなバレエ界に少し嫌気がさしていたのですが、先日のマイアミで出会った審査員の先生方の「人間味溢れるあたたかさ」に触れて、癒されました。



もちろんバレエの世界にいるならあらゆる批評に耐えるべきかも知れませんが、そのような世界なら私は「24時間バレエ」にはなりたくないです。


アーティストとしては、私は失格かも知れませんが大事なものを失ってまで、バレエにしがみついていたくない。


一番大事なのは「人としてどのようにあるべきか」であり、創る作品や指導法は二の次のような気がします。


心身を壊してまで、何かにのめり込んだとしても、壊れてしまったら継続が出来ない…


それなら「健康に継続できる道」を私は歩みたいです。


左右木健一