今日は重要な会議があり、日帰りでくみ先生と東京に来ていました。


会議の時間まで余裕があったので、ちょっとしたノスタルジックツアーでこちらに。


メルパルクホール。思い出がいっぱい詰まった場所です。



私が生オケで初めて立った舞台も…



踊りたかったアシュトンの「レ・パティヌール」のブルーボーイを踊ったのも…



メルパルクホールでした。くみ先生と一緒に踊ったのもメルパルク。



日本バレエ協会の全日本バレエコンクールのアンシェヌマン振付担当のとき、薄井憲二先生に


「トゥールザンレールなんて言葉はありません!ドゥーブルトゥールアンレールと言いなさい」


と怒られたのもメルパルクホール。


✳︎「ザンレール」と言うフランス語はないので、気をつけましょうね。天国から薄井先生に叱られますから(笑)


そのあとコンクールの打ち上げで薄井先生にこっぴどく叱られるのを覚悟して謝罪したのがキッカケで先生との繋がりが出来てヴァルナ国際バレエコンクールの審査員に薄井先生が私を選んだキッカケもメルパルクホール。


人生わかりませんが、これだけは言えます。


誰かに間違いを指摘された時に個人攻撃と捉えるのではなく、むしろ指摘に対して感謝できるか?で運命はわかれる…そのキッカケもメルパルク。


コンクール付き添いで泊まったメルパルクホテルも8月31日で閉鎖だそうです。色々な思い出があるロビー。



子供の頃から何度も登り降りした楽屋階段。



今月31日で全てが消えてしまいます。



信じられないですが、もう二度と見られない光景。



私が2歳の頃からあったホール(郵便貯金ホールと言う名称でした)ですから、楽しかった思い出、思い出したくない辛い思い出、山ほどあります。


「何事にも始まりがあり、終わりがある」


と感じましたが


「終わりがあれば、始まりもある」


思い出の場所が無くなることも、何か意味があるのかな?と思います。


ノスタルジーにいつまでも浸っていても過去は過去ですから、前を向いて「終わりの始まり」と思い、50代の人生を過ごそうと思います。


左右木健一