今日は7日間の隔離最終日。私は羽田のホテルにいます。


ちょうど窓からみえる景色は、私が帰国した日の隔離施設に向かうバス乗り場でした。


白と青のバスが、そのバスです。



今日もMy SOSのメッセージとビデオ通話で位置情報を確認させられました。私、別に脱走しませんから(笑)



今はAIのビデオ通話ですから良くなりましたね。以前は職員が容赦なく「部屋のなかを見せなさい」とか女の子の部屋なのに「見せろ!」と強要した話も聞きました。


しかし「ルールはルール」ですから、それにいちいち文句は言えません。従うしかないです。


私は今回の隔離に関しては「感謝の気持ちを」と思い、お弁当も(いくつか撮り忘れましたが)記録として撮影しました。


人1人が6日間生きていくためには、これだけの食料が要るわけです。普段は考えないような事ですが、このように撮影したら、いかに人間は食料が必要かわかります。



仙台のスタジオには、私を心配してくれるご父兄の方からメッセージとチョコレートが届いていたそうです。涙が出そうになりました。



明日には仙台に戻ります。


アメリカで陰性、羽田空港で陰性、隔離施設の検査で2回陰性。計4回の検査で私は陰性ですが…


今のこの状況を考えると、私は仙台の子供たちを指導しないほうが懸命と考えて、1週間は生徒たちを指導しないことを決めました。


本当は来月舞台を控えているので、一刻も早く指導したいのですが、くみ先生と奈々先生に指導をお願いして、私はスタジオには顔を一切出さない事にしました。


海外留学や国際バレエコンクールなどのチャンスを拒む必要はないですが、私がもし(コロナ禍前に海外の経験が一切ない)皆様にアドバイスが出来るとしたら…


「もしかしたら予定通り帰国出来ないかもしれないから、その事態が訪れても大丈夫!と覚悟が決まらない限り、海外には行かないほうが良い」


と言えます。


陰性証明書が私のように4回目でやっとゲットするために、先の見えないPCRの結果を待てるだけの余裕があるか?


フライトは変えることが可能か?可能だとしてもフライトが雪などで欠航になった場合、陰性証明書の72時間を超えたら、また一から陰性証明書を取り直し、フライトを変える覚悟があるか?


帰国して3日間、もしくは6日間、ホテルから一歩も出れない隔離生活、そして自分では全く選べないお弁当で過ごせるのか?


この3点に関しては、緊急事態宣言時には必要なかったことですが、政府の決めた「水際対策」により日本帰国が一番ハードルが高いので、そこを覚悟できるのであれば、海外に行っても良いと思います。


実際、海外短期留学ツアーは去年も今年も実施されていますし、YGPタンパファイナル(タンパはフロリダ州ですから、私のマイアミのシチュエーションと全くおなじ)も開催されます。ローザンヌも開催されましたし。


ですからここまで来たら「本人の意思」で覚悟が出来たら…と言う領域かも知れません。


私はマイアミに行けて良かったです。



正しい選択だったか、どうかはわかりません。


しかし、現地に出向いたからコロナがどう言うものかも理解出来ましたし、日本のマスコミ報道とは真逆の状況もこの目で確かめられました。やはり自分の目で、肌で、感じて見たものに勝るものはないです!


その反面、自分の努力ではどうにもならない事も、今回学びましたし「何を信じて良いのか…わからない」と言う気持ちにもなりました。


しかしその反面、あたたかいメッセージを下さる方々も、助けて下さった方々も、実際いらっしゃいました。


今回、本当に勉強になりました。


皆様、本当にありがとうございました!


左右木健一