マイアミ国際バレエコンクール 3日目。
今日もピアノは黎水那でした。
コンクール審査集計係のEvaさん(なんとフェルナンド・ブフォネスがディレクターだった時にオーランドバレエにいたらしく、黎水那の先輩にあたることが判明!)
2年前のマイアミ。Evaさんと自分。この時はまさか黎水那がマイアミで働くなんて夢にも思っていませんでした。
時が流れて変化するものもあれば、コロナ前と変わらないものもある…
実際、このコロナ禍で人間性が問われることを学んでいるような気がします。
「病気が怖いわけではなく、人が怖い」と言うのもこの2年で世界中が学びました。
いま審査員室での話題は、もっぱら
「あまりにも不自然で極端な人種差別反対の動き」
「くるみ割り人形」から中国の踊りが問題視されていることも話題になりましたが、私達審査員からしたら
「それの、何が悪いわけ?別にどこかの国を差別しているわけではなくて、ファンタジーの世界のなかでの、リアルではないバレエの舞台、しかもずっと踊られ続けていたのに、いきなり問題視して騒ぐこと自体が不自然」
と全員の審査員が仰っていました。
または「ポアントやバレエシューズの色」
ピンクに限らず、ブラウンのポアントが発売されていますが、そのブラウンに合わせてブラウンタイツを着用することまで推奨されているみたいで…
「バランシンのセレナーデで、ブラウンのポアントとタイツを履くわけ?今までピンクでも誰も何も言わず、違和感なかったのに」
と。確かに私が初めて見たバランシンはニューヨークハーレムダンスシアターの「アレグロ・ブリランテ」でしたが、ご覧のとおり、私が踊ろうが、誰が踊ろうが「アレグロ・ブリランテ」は女性がピンクタイツを履いていようが、誰も何も言いませんでした。
「女性にブラウンポアントとタイツをわざわざ履かせる必要があるのか?男性が白タイツと白シューズを履くのは問題視されていないのに、なぜ女性だけ?」
と、むしろそちらのほうが差別?と思います。
結局は現実世界とバレエの世界を強引に一緒にするために、そのように極端な「人種差別反対」に繋がっているような気がします。
バレエの舞台で繰り広げられる世界は、バレエの世界であり、現実ではない。
たとえばこれを見て
「東洋人のキツネ、しかも本人の肌の色と違うオレンジのタイツとは何事だ?人種差別だ」
と言いますか?
「東洋人に白タイツなんて!肌の色と同じ黄色いタイツを履かせないのは人種差別だ!」とか言いますか?
本当に賢い人、思慮深い人ほど、そのような問題をあえてスルーします。なぜならいちいちその「肌の色」に対して問題視すること自体がすでに差別が始まっているわけで、そう言うことを問題視してわざわざほじくり返す事のほうが相手を傷つけている、と言うことを世間は気づいていないと感じます。
別に「肌の色」「ジェンダー」「体型」に対していちいち突っ込まなくても良い時もありますし、むしろ日々そのような差別を受けている側からしたら、話題にもして欲しく無いはずです。
なぜなら、そのような事が話題にも何にもならずに普通に皆が生活をしていて、その「差別」に固執しなくなることが、はじめて世の中の「差別」がなくなるわけです。
「肌の色がタイツと違うんだから同じ色を履け!」
と強制するのは
「バレエは細いのが当然だからダイエットしなさい!」
と言うのは、一見違うようにみえますが同じです。
誰かのチカラで強引に「〇〇反対!」と言うのは実はそれに対して反対すると言うより、そこにしがみついているだけでは?と。
本当に差別がなくなるというのは、そこにすらいちいち執着するのではなく
「あなたはあなた、私は私」
と思い、違いに対していちいち突っ込まずにスルーしてリスペクトする。これこそが「差別をなくす」と言うことを今回審査員室で学びました。
国際バレエコンクールの審査員を務めていると、審査員室でこのような話をできるので、ものすごく勉強になります!
全員違って当たり前です!
その「違い」にいちいち反応するのではなく、良い部分を見つけてあげて、リスペクトする。
深いことを学びました!感謝です!
左右木健一