「くるみ割り人形」の「中国の踊り」問題を読んで
「もし私が今の時代に現役でザルツブルクにいたらどうだったのかな?」

と思いました。

私がザルツブルクに住み始めたのが1991年。



ベルリンの壁が崩壊して、東からダンサーに限らず人々が続々と西に流れてきたので、その不安から

Ausländer raus! 「外国人出て行け!」

と常に私は言われていましたし、いわゆるネオナチと呼ばれる人々から身の危険を守ることはしていました。

髪をカットするたびに

「アジア人の髪の毛を切ると私のハサミが壊れる」

街を歩くたびに

「日本人なんだからキモノを着ろ!私達の服を真似するな!」

すれ違うたびに

「醤油の匂いがする!」

顔をみるたびに

「目があるの?見える?」

とつり目をされたり…

「アジア人」と言う理由で役を降ろされたこともありました。

そんな1990年代から一変、ベルリンで「中国の踊り」が原因で「くるみ割り人形」が上演されないとか一体誰が想像したか…

最近感じることは

「全てが極端になっていないか?」と言う事。

白か!黒か!

グレーが無い状態…

もちろん毎回曖昧にしているのは良い事ではないですが、世の中誰を基準に「白」「黒」なのか、を誰か1人(もしくはその1人に賛同する権力)が強引に決めてしまえば、それこそ「恐怖政治」です。

人種差別にしても何にしても、全てがあまりにも極端…

「他人を許す気持ち」
「様々な価値観や宗教観を弾圧しない行動」

が薄れていくと、戦争になります(もうすでに戦争ですが)

いくら「正しい事」を主張していても、伝え方が違えば拒否されます。

私が「指導者勉強会」で指導者の皆様に

「私が何が何でも絶対正しい!あの人は間違っているから許せない!みたいな風潮にはならないで欲しい」

とお願いをしたのも、目の前にいる生徒にいくら正しい事を指導していたとしても、伝え方次第では拒否反応からスタートしてしまうから、それを防ぎたかったのです。

目の前にいる人を強引に変えるのではなく、間違ってしまった人を厳しく責めるのではなく

「あなたのやってきた事も良いかも知れないけど、こんなやり方もあるから試してみない?」

と言ってあげたほうが、受け入れられるはず。

人々に余裕が無い今だからこそ、他人の誤ちや違う価値観に腹を立てて責めて極端な道に走らずに、自分自身を高める事にフォーカスしていけば、おのずと皆が幸せになるような気がします。

私もバレエに対するポリシーがありますが、そのポリシーが極端にならないように気をつけていこうと思います。

左右木健一