今でこそ「卒業舞踏会」のヴァリエーションはコンクールで踊られるようになりましたが…
日本バレエ協会の定番作品になるずっと前に、ユニバーサルバレエでは既にレパートリーに入っていました。
私もかなりの数を踊らせてもらいました。
散々スタジオでもリハーサルがあり、舞台も既に何回も踏んでいて、韓国、日本、マレーシア、シンガポールと散々舞台が続いていた頃の写真。
たぶんツアー最終日か?眠っていても踊れるような状況になり、完全に遊んでいます(笑)1987年なので私は18歳でした。
その1987年の時に、まさかあのヴァリエーションがコンクールで沢山踊られるようになるとは!
私が国際コンクールの審査で見かけるようになったのは、随分前でしたが、それでも1人くらいしかそれを選んでいなかったですね。
実は非常に難しい役ではあるのです。私もバレエ団時代、リハーサルを観ていて
「あ、ピッグテールガールより難しいキャラ設定なんだな?」
と思っていました。
コンクールのヴァリエーションが多様化していく事で、子供たちが
「このバレエっていつの作品で、どんなバレエ団で踊られていたのかな?」
と考えるキッカケになると、嬉しいですね。
ちなみにSNSも何も無かった1987年は、このバレエの全編を知ることもなく、ビデオで振付を覚えたわけでもなく、直接指導を受けました。
今はちょっと調べたらすぐにどのバレエでも動画が見れるので良いですよね?
こんな貴重な動画も!
ピッグテールガールやフェッテガールの振付はこの当時から大きな変化がないことを考えると、1940年代からかなりのテクニックが既に確立されていたのだな?と感銘を受けます。
1987年の頃に踊った私ですら想像していなかったのですから、初演当時のダンサーからしたら、子供たちがこの作品のヴァリエーションをコンクールで踊っている、と言う事はもっと想像出来なかったでしょうね。
バレエは本当に国境を越えて、受け継がれていく素晴らしいものだな?と改めてパワーを感じます!
左右木健一