先日の記事の動画を、インスタにもアップしたところ、こんなコメントが寄せられました。

「娘がバレエの舞台で主役になれませんでした。今回最年長、バレエ歴も一番長く、レッスン数も一番多く。正直いよいよだと思ってたら違う子でした」

これはもう仕方ない事です。

しかし、バレエ界に限らず、世の中はそんなものでは無いでしょうか?

「私は会社で昇格出来ませんでした。一番最年長、勤務歴も一番長く、誰よりも休まず出勤して。正直いよいよだと思ってたら違う人でした」

と言う方、多いのでは無いでしょうか?

もし発表会で自分が期待していた役がもらえなかった場合…

その時に道はわかれるはずです。

「与えられた役を(色々な複雑な思いはあるが)やり遂げる人」

もしくは

「選ばれなかった、と不貞腐れてバレエに対する気持ちが薄らぐ人」

どちらが正しい、正しく無い、と言うわけではないですが、少なくとも(正しい人選が出来ないトップではなく!)組織のトップが賢い人であれば、意図的にその配役を決めて様子を伺っているケースがあるのは、覚えておくといいと思います。

主役と言うのは、踊りが優れているだけ、努力しているだけでは不十分です。

自分以外の全ての人々の気持ちを背負い、気配りが出来るだけの器がないといけないわけで、ただ単に「踊れます」「努力しています」では周りが納得出来ない部分があります。

賢いトップ(何度も言いますが、残念ながら選ぶ目が全くないトップもいますから、この場合は賢いトップの場合)は、それも踏まえて、時期を見て

「今は主役をやらせるべきではない」
「しかし次回出来るかどうかを、みていよう」

と考えている可能性がある事は、理解すべきだと思います。

私も現役時代、とにかく真面目に休まずに、と頑張っていた(つもり…もう、そう考えていた時点でダメでしたが、笑)しかし自分が望んでいた役はレッスンもリハーサルもさぼる子が踊る事が決まった時は、本当に辛かったです。

しかしバレエ団(バレエ学校も、趣味のバレエ教室でさえ)と言う「組織」にいる以上は、トップの決断を覆すわけにはいかないのです。

コンクールの弊害は、そこを理解出来なくて

「いつでも、どこでも、自分は主役」

でいられるので、組織の一員としての自覚が得られない事が弊害だと思います。

昨日も言いましたが、舞台は主役だけでは成り立ちません。コールドバレエの1人が欠けただけで舞台は成立しなくなるのです。だからどのポジションも重要なわけですし、そのポジションを個人的感情で不服に思うようでは、組織の一員にはなれない、なれたとしても辛くなるだけです。

想像してみて下さい。ディズニーランドだってミッキーさん1人がポツンといても気持ち悪いですよね?(笑)

ミッキーさんを支える数多くのキャラクター達がいて、そのキャラクターたちが輝けるようにショーを演出する人たち、振付する人たちがいて、そのキャラクター達が最大限のパフォーマンスが出来るように安全を守る人々がいて、初めてディズニーランドが成り立つわけで、ミッキーさんひとりでは成り立ちませんし、自分がいくら「ミッキーさんになれなかった」と言っても、それは個人的感情の問題であり、組織のトップの決断を覆すわけにはいかないのです。

私が14歳の頃、日本バレエ協会の舞台に出演した時…

私がどこにいるかなんてわかりませんよね(笑)


なぜなら、この人数ですから…


しかし14歳の幼い私は、とにかく踊りたかった一心でみんなが座ってリハーサルを見ている間もずっと立っていて

「そのアピールをしたら、出番が増えるだろう」

なんて思っていました。もう踊るパートは決まっているわけだし、立ってアピールしたって増えるわけがない(笑)

しかし、私はその行為が無駄だった、とは思いませんでした。なぜか?バレエが好きだったからです。

期待通りの役がもらえなかったとしても、自分のバレエを大事にしているか、否か…

そこで未来は決まるのです。

もし発表会などで役がもらえなかった、と嘆いている人がいたら、私が断言します。

「あえて選ばなかったあなたの態度を見ている」

と。意外と見ている人は見ています。

不貞腐れて反抗するのか、そうではなくて与えられた使命を全うするのか?

ある意味「人として成長するチャンス」です。

そのチャンス、決して逃さないで下さい!

左右木健一