私は元々「ライバル」と言う言葉が嫌いです。

「お前は俺のライバルだ」

とか言われると、虫唾が走りますし、そう思われるのも嫌でした。

私にとって「他人は他人」ですし、私を見てそのように感じる相手は自分自身をみつめているわけではなく、赤の他人の「私」を基準としていたり比較をしている以外の何者でもないからです。

そして「ライバル」と言う語源、どこから来てるか知ってますか?

なんと

「水を巡った争い」

から来ているそうです。「争い」です。

水を「共有」するわけではなく「争って奪う」

凄く、凄く嫌な感じがします。

コンクールが近くなると

「親から、コンクールに勝たなければバレエを辞めろと脅されてプレッシャーです」

と泣く泣く先生に相談をしてくる子供達の話も全国で沢山聞きます。

そんな風に才能のある子を辞めさせるわけにはいかない、と先生も鬼のように指導しなくてはいけない状況も聞きます。

しかし…これは果たして幸せな事なのか?

と一度考えたほうが良いと思うのです。

子供が子供のペースで頑張って努力するのと「他人に負けたく無いから努力する」と言うのでは、全く質が変わってきますし、その「他人」がいなくなったら、頑張っていくモチベーションをどこに持っていくのでしょうか?

他人といつもいつも比べては、落ち込んで

「いや、でもそんな事に影響はされない」

となれば良いですが…

悪口を言ったり、妬んだり、僻んだりしていたら子供の魂が汚れていくだけです。

そしてそれを阻止出来るのは大人しかいません。

NYCBのローデス・ロペスの言葉は深いです。



もちろんバレエの世界は

「主役を奪われた」
「コンクールで受賞出来なかった」
「役に選ばれなかった」

など、あります。ですから嫌でも人と比べる事になります。

しかしバレエ団と言う組織は、学芸会みたいに

「白雪姫を全員にやらせないのは子供がかわいそうだ!」

みたいに親達が学校にクレームをつけて、クラス全員が白雪姫になれるわけではないです。

主役がいて、ソリストがいて、コールドバレエがいて、バレエマスターがいて、ピアニストがいて、オーケストラがいて、舞台スタッフがいて、衣裳スタッフがいて…

その「お役目」を各自果たすのが「バレエ団」でありどのセクションも欠けてはいけないのです。

ですから主役を奪われた、ライバルに負けた、とかではなく

「自分の役割は何だろうか?」
「今、出来る最大限は何だろうか?」

と地道に(人と比べる事なく!)努力を積み重ねていくことが「人として」あるべき姿では無いでしょうか?


「いつ花が咲くか?」が重要ではなく

「子供たちが咲く時期を、焦らせていないか?」

を大人たちが注意深く見守ることが「愛」ではないか?と思います。

早く咲かないから、と花に不必要に水や肥料を与えたり、陽に当たりたく無いのに当てたりして枯れてしまう…もしくは咲かないからと芽を摘み取る…

そんな事を子供たちにしては、決していけない。

要は

「大人の都合で、花を無理矢理咲かせたりする」

のではなく

「時期が来たら咲く」

と言うのを待つ忍耐力が大人に必要であり、またそこには「ライバル」など存在する必要は無いのがわかると思います。

「井の中の蛙」は良くないですから、周りを見るのは大事。

しかし「他人と比べるだけの歪んだ競争心」を植え付けないようにする環境は、整えてあげたいです。

左右木健一