2年ほど前に書いたブログが反響が大きかったので再度リブログしますね。

まだコロナ前のブログでしたが、コロナ禍の今のほうが益々エスカレートしてイジメが陰湿になっている話を聞きます。

悪口は依存症 と言われるようですが、生まれたばかりの赤ちゃんが「悪口を依存症」として身につけて悪口は言わないわけですから、結局は育ってきた環境で悪口を大人から真似して身につけてしまうのではないか?と思います。
私が大人の悪口で嫌な記憶に残っているのは、小学生の頃。

劇団ひまわり時代にお母さん同士がその場にいないお母さんや子供の悪口を言っていた時でした。そしてその言葉を子供達はオウム返しのように真似をして、見事に「悪口のスキル」を親から学ぶわけです。

だいたいは直接面と向かって悪口を言うわけではなく、その場にいない人の悪口を言います。これはバレエ界では更に酷かったです。


私も52歳になり、ようやく(遅すぎますが!)ネガティブな事をスルーする技を取得出来ましたが昔は周りに影響されてしまった事もありました。


人種差別や職業に対しての偏見、改善されていそうでまだまだ根が深い問題です。


しかし「人間とはそういう習性がある」と理解していたら、未然に防ぐことが出来るかも知れません。



未然に防ぐには「親切」を「不親切」にしないようにすれば良いだけです。


そして相手から「不親切」を受け取ってしまわないようにする方法が「スルー」です。


生産性が無く、人をただ傷つける事を


「見ない」「聞かない」「携わらない」


とすれば、自分のなかでは「存在しない」のと同じです。


ある人はチョコレートが好き。ある人は嫌い。


そのチョコレートでもGODIVAが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。


そして「好き」と言う人が少数派だったり、極めて影響力がある場合、「嫌い」と言う人たちが集まって悪口を言いはじめて


「GODIVAなんて食べるの、変!」


とか悪口を言っている仲間に入って一緒に悪口の仲間入りをしているときは「ドーパミン」が出る一方で自分が傷ついているわけです。


危険です。ただでさえコロナ禍で危険なのに、わざわざそれに輪をかけて健康を害する事をしないほうが良いですよね。


「返報性の原理」は見返りを求めるために、親切にする、とかではないと思います。


しかし少なくとも誰かに何かを差し出す(喋る)時に、寛容な心でいられたら良いですよね。


このストレスがMAXのコロナ禍の世の中では、それをコントロールすることは難しいかも知れませんが…


「バレエは女の子のするものだ」


「ボクシングは殴り合いで嫁入り前の女の子がやらないほうが良い」


「大学に入らない人は人生終わってる」


そんな自分の人生においてそれほど重要ではない人たちの言葉を、わざわざ受け入れて、受け止める必要は全くないわけです。


もしこのブログを読んで、誰かに何かを言われたり、悪口を言われて辛いと感じている方がいたら覚えておくと良いのが


「真実はひとつで、神様は見ている」


と言うこと。これは忘れないでいましょう。


左右木健一