よく質問が寄せられるのが
「無理矢理ストレッチは良くないのはわかるのですが、インスタを見ていると相変わらずオーバーストレッチやっているのを見ているとやはりやらなくてはいけないのですか?」とか
「コンクールでやってはいけないマナー違反をたくさんやっている人が受賞しているのは、やはり審査員はその違反をむしろ良しとして、賞賛しているのですか?」とか
「早くからトウシューズを履くのは良くないと言われていても日本では小学4年生でも履くのがきまりなので、何が正しいのかわからなくなります」とか
皆さんの悩みは尽きないですよね。
何が正しいのか、正しく無いのか…
その善悪の基準は、一体どこの誰が決めているのか…
わからなくなるのは当然です。
宗教の話はデリケートなのであまりしたくないのですが、わかりやすい例で話をすると
神道、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など、ありとあらゆる宗教があるなか
「私達の宗教しか、正しくない!」
と言われてしまえば、それが戦いとなれば、まさに宗教戦争ですよね。
「ワガノワメソッドしか正しく無い!」
「RADしか正しく無い!」
「チェケッティしか正しく無い!」
となれば、まさにバレエメソッド戦争になりますし、そこでお互いを傷つけ合う事が本当に「バレエを愛する」と言う事に繋がるのか、否か…
私に限らず、審査員を務めていれば、結果発表される際に
「え?あの参加者が一位…自分は評価していないんだけど」
と言う事があります。ですから何度も私が言ってますが
「満場一致で一位だ、と言うわけではない場合もあるし、それが将来を約束するわけではない」
と言い続けている理由はそこにあります。
例えを話しましょう。
「マスクをどの場所でもして、感染予防を徹底する!」
と言う人が
「もうマスクをする必要は一切ありません」
と政府が決めた国に住んでいた、としたら?
その人が「良かれ」と思って移した行動が
「何を今更マスク?もう国が必要ない、って言ってるのに?周りはもうマスクしてないよ」
と世間から思われるはずです。
ある人からしたら
「国が決めても、マスクはこれからもする」
でしょうし、ある人からしたら
「国が必要ない、と言うなら、別にもうマスクしない」
でしょうし…
バレエの「何が正しいのか?」は更に複雑で
「これが絶対正しいです!」
とは誰も言えないし
「私達の国のバレエしか認めません!」
とも言えません。なぜなら住んでいる国やメソッドによって価値観が変わるからです。
イスラム教のマレーシア。イスタナブダヤと言う国立劇場でバレエが上演される際は、肌の露出や激しい恋愛シーンはご法度とされるので検閲が入ります。
しかし他の国では
「え?なんで?バレエでしょ?あり得ない」
となるわけです。
神社の「芽の輪くぐり」にしても、左足から左回りでくぐる、などを知らなかったり、祝詞を奏上しながらくぐる、などの「作法」を知らなかったら、そのまま真っ直ぐに突き進んでしまうでしょうし。祝詞をそもそも知らないから無言でくぐる人もいると思います。
その作法を知らないから、と言って他の参拝者に怒鳴られる事もないでしょうし、作法を守らない(知らない)人がいたとしても、作法通りに参拝する人もいるでしょうし、神社によっては違う作法もあるでしょうし…
ですからバレエの「作法」は知っていて損はしないでしょうし、知らなくて「マナー違反」をしていたから、と言って弾圧されることも、責められることもないわけです。むしろその「マナー」を知らない人がトップに君臨して何かを決める権限にいたとしたら、その「マナー」は「無用」となる可能性があるのです。
結局は
「タバコのポイ捨ての何が悪いの?」と言う人の元には、その人と同じ価値観の人が集まるでしょうし、その集まりの環境があったとしたら、道端に吸殻が散乱するでしょう。
それを「ポイ捨て禁止!」といくら叫んでも聞く耳を初めから持たないわけですから説得しても無駄です。逮捕されない限りは…
「じゃあ、自分だってみんながポイ捨てするなら、自分一人がルールを守っているのは馬鹿みたいだからポイ捨てする」
となるか
「周りがポイ捨てしても、自分はしない」
となるか?
どの価値観で、どの環境で生きていこうと決断するのは
「ご自身で決めてください」
と言うことに最終的になるのではないか?と思います。
左右木健一