ローザンヌ国際バレエコンクールが始まっていますが、普段でしたら時間の許す限りライブでみているのが今年は私自身が他のコンクールの動画を見て採点、コメントを書かなくてはいけないので、それどころでは無くなっています。

とは言え、どのような傾向が世界的にあるのか、はしっかり把握しなくてはいけないので、断片的ではありますが、見ています。

この建物とレッスン内容を見たら


すぐに仙和芸術学校だとわかります。やはりレッスンが徹底しています。


私が大嫌いだったワガノワメソッドが大好きになれたのも、仙和芸術学校のレッスンを見学していたからです。

長年ローザンヌで選ばれている仙和芸術学校の生徒たち。ほとんどの生徒を指導していたのが、桜井幸子先生や、私のユニバーサルバレエ時代の同僚たちでした。

「なぜあそこまでローザンヌで実力を発揮出来るのか?」

「なぜ日本人はヴァリエーションは評価されるのに、レッスンが良くないと言われるのか?」

それを探りに住んでいた韓国を20年ぶりに訪れてはっきりしたこと。

それが

「一つのメソッドを徹底していること」

そして、なおかつ

「そのメソッドを生徒たちに理解させる指導法」

これが徹底しているわけです。

まして日本のようにプライベートスタジオではなく、中高一貫の芸術学校(入学するのは宝塚音楽学校よりも厳しい倍率)のなかで「授業」として行われていたら、もう歴然とした差が生まれてしまうのは当たり前…

「なぜ日本に中高一貫の芸術学校が無いのか」

を嘆いていても仕方がないから、日本は日本で個人の力でここまでやってきたと思います。

私が審査員を務めたヴァルナ国際バレエコンクールにおいても、審査員全員が評価したのは、韓国芸術総合学校(Korea National University of Arts)の生徒たち。クラシックが、クラシックであるべき姿がキチンと教育されているのです。

薄井憲二先生も

「ワガノワメソッドを習うなら、韓国の先生に習いなさい」

と言うアドバイスを頂いていましたし。

私が韓国に住んでいた頃は、ユニバーサルバレエはどちらかと言うと自由で、一つのメソッドにこだわっていなくて。ですからその当時は日本人が助っ人のように雇われていたのですが、今は違います。

やはり「教育」が徹底していることが、全てに繋がるのだと思います。

今年のローザンヌに至っては、パトリック・アルマンたちのレッスンを皆が同じ土俵に立って受けて審査するのではなく、それぞれのスタジオのやり方、指導法に任されて作成されたレッスンのビデオで審査されているみたいなので、順番から何からそれぞれ違いがあり

「何を評価するのか?」

が非常にわかれると思います。

ワガノワメソッドでは決してやらない「二番の踏み換え禁止」ですが、ローザンヌでは踏み換えている参加者もいました。

「え?やってるから、別に悪くないでしょう」

と思われている方のために。

やる必要ないでしょ?と私が海外の先生方から教わったことは、YouTubeに載せてます。見てくださいね。


メソッドの違い、プロかアマチュアの違い…
色々あります。


断片的にしか見ていないのですが、チラッと見ただけでも、今回のローザンヌはいわゆるメソッドの違いが如実に現れて、一概に

「これが正しい」
「これが間違い」

と言う観点ではなく、子供たちのポテンシャルだけを判断しているとは思います。それがローザンヌだと思いますから、踏み換えしていても別に減点にはならないと思います。

とは言え、実際、指導者のカラーが強すぎてしまい、バーレッスンもセンターも、クラシックから少し離れてしまったネオクラシック調の振付主張が強すぎて、生徒自身の本来のポテンシャルが隠れていた参加者がいました。もちろんその方は非常に踊り上手で優秀ではありましたが…

プロだったら

「これだけバラエティに富んだ小難しい振付を踊れて即戦力になる」

かも知れませんが、バレエ学校でまだ学ぶ年齢でやらせるべきこと、やらせる必要がないこと、を指導者が知らないといけない、と改めて勉強になりました。

YAGPでもこの動画が配信されてから、賛否両論です。

タンバリンは楽器ですから、音楽と全く関係ないところで、ピルエットの途中で叩く必要はないわけですし、まして回りすぎて音は外れてしまい、四番ポジションに降りれないまま次に進んでしまい…



「素晴らしい才能だけど、正しい教育を受けるべきだ」

と言うコメントもありましたし、その反面

「素晴らしい!」

と言うコメントもあり…

しかし、いずれにしても彼女を正しい方向に導いてあげるのは指導者であり、この動画をみてインスパイアされてしまい真似する子供たちを阻止するのも指導者の責任です。

「何を評価するのか?」

人間ですから、好き嫌いはあると思いますし、何が正解か、不正解か、はそれぞれの価値観。

「類は友を呼ぶ」

とはまさにこの通りで、その価値観の相違を無理矢理相手に要求することではなく、価値観に共感する者同士が集まる事に趣をおくほうが良いのかも知れませんね。

マレーシアのように

「イスラム教」「仏教」「ヒンズー教」

が共存するような国では、自分の信じつつ、なおかつ相手の領域に入らず、裁かない、と言うルールを持たないと、たちまち戦争になります。

戦争を起こすのではなく、お互いの領域に踏み込まない、と言うのも賢い選択だと思います。

指導者勉強会、フィードバック寄せられておりますが、まだまだご紹介出来ていません。

順番にご紹介しますので、少々お待ちください!

左右木健一