9月15日はダニエル・レヴァンス先生の命日でした。

ダニエルって誰?と思われますよね。日本では知られてないですから。

日本ではコンクール予選落ち、3歳からバレエを習っているのに全然パッとしなかった私に「希望の光」を与えて下さった命の恩人です。

16歳の時にユニバーサルバレエ団に入った時は彼はバレエマスターで、高校卒業してバレエ団に戻った時は芸術監督に就任していました。


ダニエルを知らない人でも、これを見たらわかる人はわかると思います。

そうです。映画「愛と喝采の日々」バリシニコフの映画とも言うべき映画。



アーノルドという神経質な振付家の役をダニエルは演じていますが、実はこれ、演技でも何でもなく、実際こんな感じ(笑)



ちなみに彼の隣にいるのが、ユルゲン・シュナイダー先生。当時のABTでバリシニコフやナタリア・マカロワをコーチングしていたそうで、前回私がブログで書いた「踏み換え禁止」を細かく説明して下さったジャパングランプリの審査員で日本の方もよくご存知のハリッドコンサバトリーのビクトリア・シュナイダー先生の旦那様です!

「踏み換え禁止」はユルゲン先生がビクトリア先生にも伝授していたそうです。

ですから「踏み換え禁止」は、今、始まったことではなく、昔からの指導法なのだ、と改めて認識しています。

このシーンを子供の時、何回見たことか!

レスリー・ブラウンの隣の黒いレオタードがシンシア・ハーヴェイ、その後ろにダニエルがいます。「愛と喝采の日々」まさに大スターたち集結!


レスリー・ブラウンを見て

「あ、こうやってにっこり楽しそうに笑って踊っていいんだ…」

と羨ましかったです。私が子供の頃のレッスンは

「歯を見せるな!下品!」
「ヘラヘラ笑うな!」

でしたから…私が日本を10年離れた要因でもありました。

「愛と喝采の日々の映画の人たちは、みんな軽やかだし、伸びやかだし…なのにどうして身体を固めて無表情で踊らなきゃいけないの?」

と…なので、この映画のビデオを何度も見ながら日本を離れるきっかけを探していました。

そして海外に飛び出して…

今でも忘れません。

私が16歳の時のバレエ団初日。このスタジオで男性クラスを受けたのが、私のプロとしてのデビューでした。そのクラスを担当していたのがダニエル。


映画で見たことしか無いスターが目の前に…しかも映画そのまま(笑)初日にいきなりやらされたコンビネーション、毎日のクラスは常にこんな感じ。日本でこんなスピーディーなレッスンは受けた事もなかったので、とにかく必死!(笑)あまりに強烈すぎて、今でも順番を忘れていません。忘れてしまったら次の日に無視されるから…

35年前のコンビネーションはいまでも踊れます。なので、うちの子供たちにも指導しているので、このコンビネーションは皆、軽々と出来ます!



ユニバーサルバレエ団ではツアーも多くて、そのなかに日本公演もあり、そのたびに日本に一時帰国して、しかし家には戻らず、ホテル暮らしが4か月近く続いたことがありました(私がホテル暮らしや長距離移動が平気なのは、この時培われた経験があるからです)

ダニエルが芸術監督の時の日本公演プログラム。


竹島由美子さんと並んでいるし!この時から大の仲良しです!


YAGP日本予選の聖地とも言うべき尼崎アルカイックホールで踊ったんだなあ、と。感無量…


尼崎で踊ったのが1987年ですから33年前…

そのリハーサル室で、まさか子供たちとYAGPを共にするとは…


「受け継がれるもの」

最近、ひしひしと感じます。

ポッと出の、よくわからないジャンルではなく、やはり

「バレエはバレエ」

なのだな、と改めて感じました。まさに伝統。

私は今までユルゲン・シュナイダー先生が「愛と喝采の日々」に出演しているのを良く知らずに、ビクトリア先生とマイアミで審査員を一緒に務めていて、例の「踏み換え禁止」をビクトリア先生から聞いて、それがなんと旦那様のユルゲン先生の教えだったと…

私もそろそろ後継者を育てていかなくてはいけない年齢になりました。

真剣にそれを考えていく必要がある…

それが「受け継がれたバトン」を大事に扱う義務だと思っております。

左右木健一