オフィシャルには公表されておりませんが、深川秀夫先生がお亡くなりになられたそうです。
以前から体調を崩されていた話は伺っていたのですが…
ご冥福をお祈り致します。
私が深川先生に初めてお会いしたのが小学生の頃。
私が幼稚園児だった頃に指導して下さっていた尾本安代先生がご出演されていた舞台(バレトメニアと言う団体でした)が深川先生の帰国後の舞台で、私も楽屋にご挨拶に伺ったのですが、物凄いオーラでご挨拶どころか、何をお話したか記憶すらなかったです。
しかもその舞台のコンセプトが、まるでファッションショーのような舞台で、顔は半分紫色みたいな感じで塗られていて、衣裳も奇抜。子供心に恐怖すら感じていました。
そして私が中学生になった頃に、ある舞台でパシリみたいな感じで楽屋に伺い、買い出しに行くことになり、そこにいらしたのが深川先生。
「あ…ハンバーガー買ってきて!」
と言われ、届けたのが2回目にお会いしたとき。そのときも物凄いオーラでした。
そして、3回目でようやく先生とゆっくりお話しが出来ました、シュツットガルトで!
私が茶髪なのも不思議ですが…この時、バレエ団に案内していただき、プリンシパルだったエレーナ・テンチコーヴァさんのリハーサルを見学させていただきました。
私はこの時、すでに現役を終えていたのですが深川先生がそれを凄く不思議に思われたみたいで
「どうしてまだ若いのにやめたの?」
と言われました。なので
「現役で踊っているとリハーサルに付き合う無駄な待ち時間が勿体なくて、時計ばかりみていたんです。なのでその時間を指導に費やしたかったから辞めました!」
と正直に述べたら(正直すぎますよね…)
「アハハ!君は…個性強すぎだね!僕の作品には使いたくないダンサーだ(笑)」
とゲラゲラ笑いながら言われました。
個性のオーソリティーとも言うべき、深川先生から
「個性強すぎ!」
と言われた事は、私にとっては褒め言葉でした。
ビクビクしながらハンバーガーを楽屋に届けた20年後に、まさか深川先生とたくさんお話できる日が来るなんて…
それから毎年のように年賀状が届いていたのですが、風のたよりで体調が非常によろしくない、との話が…
“flying japanese”の貴重な映像がございます。
バリシニコフも恐れたと言う伝説の深川先生。
ご冥福をお祈り致します。
左右木健一