この動画…
見ていると辛いことを思い出すので見ていなかったのですが、あえてアップします。
2011年3月11日
あの日を境に本当に「人の怖さ」を感じました。
「こんな大変なときにバレエなんて」
「自粛しろ」
「電気の無駄」
「道中何かあったらどうするんだ」
「まだ余震が収まっていないのに」
「みんな怖いのに」
「楽しそうなことをするな」
「命を守る気がないのか」
「痛みを分かち合う気はないのか」
「自分たちばかり楽しんでいるなんて不謹慎」
こんな風潮が少なくとも一年は続きました。
震災よりも、それまで隠れていた人の「本性」が見えたのが怖かったです。
バレエなんて…何の役にも立たなければ、こんな時期に踊る事自体がまるで犯罪者扱い。
バレエを踊ることが「生きる術」の人が
「踊るな!不謹慎!」
と言うことは
「死ね!」
と言われているのと同じ。
そう…死んでくれたほうが良い、と思われていたことも、この時感じました。
「仙台大変だったでしょう」
と心配する方に
「いえ、うちは内陸でしたから津波の被害もなく、スタジオも無傷でした」
と答えた瞬間、心配した方の顔が不機嫌になるのを、私は見逃しませんでした。
そう…被害にあってくれたら、同情したのに!と言う期待を、私が裏切ったからです。
そこからなんです。私が透視能力とまではいきませんが、人を見る力を身につけようと思ったのは。
震災復興チャリティと称して、近寄ってきた企業もありました。
この世の恐ろしさは、震災でもなく、新型コロナウイルスでもなく、そのパニックに遭遇したときに豹変した人々が、他人を攻撃することを始めることが「本当に恐るべしこと」なのです。
エンパス体質の人が多い日本人には、それが顕著に現れます。
「こんなに人々が亡くなったのに、毎日楽しく過ごすなんて、不謹慎!」
楽しく過ごすことは…悪なのでしょうか?
もちろん不要不急で遊び歩いている人たちは、不謹慎かも知れません。
しかし、公園で子供達が遊んでいたら警察に通報することが「正義」ですか?
電車で咳をしただけで殴り合いの喧嘩をすることが「正義」ですか?
生きていくためにはテレワークではなく、現場に行かなくてはお金がもらえない人に対して「この時期に満員電車に乗るなんて!」と怒鳴るのが「正義」ですか?
いま一度、冷静になる必要があるのは、とりあえず私は震災を経験してるからわかります。
震災時の「不謹慎!」「自粛!」は、一年もしたら皆、忘れました。
計画停電で電気を使うだけで「不謹慎!」と言われたのは、一年も過ぎたら電気使いたい放題でした。
そして「仙台なんて、福島の隣なのに行くなんて不謹慎!」と言ってた人が手のひらを返すように仙台に来ました。
いまの世の中は、震災時と似ています。震災時より酷いです。なぜなら世界レベルですから。
「あなたが仕事に行くことで、命が奪われるひとがいるのをわからないの?」
「感染するのを恐れるんじゃなくて、あなたが感染させている自覚がないわけ?」
「こんな時期にみんなだって我慢しているのに、楽しそうに遊ぶなんてありえない!」
などなど…
もちろん新型コロナウイルス対策を全くしないことは言語道断ですが…
今のこの時期だからこそ
「だったら、各々が出来ることを、助け合って、頑張っていこうよ」
と助け合うべきで、誰かが誰かの行動を阻止したり、監視したり、けなしたり、批判したり、攻撃することは、必要なのでしょうか?
そう…本当の敵はウイルスではありません。
試されているのは人の「健康管理」ではなく、人が人に対してどれだけ優しくなれるか、寛大でいられるか、と言うこと。
本当に辛いときに、本当に支えてくれる人、支えてあげたいと言う人がいる事…
ここに「気付けよ!」と神様に試されていると思います。
普段通りの日常を過ごせることはないかも知れませんが、少なくとも震災時と違うのは、電気も水道もガスもあります。ライフラインはあります。
冷静に、静観して、とにかくやれるべきことをしっかりとやる…
いつか震災のときのように
「喉元過ぎたら…」
になるはずですから。そのときに
「コロナのときに、あの人の本性がわかり、ガッカリした」
と言われることがないことが、いまやるべきことだと思います。
左右木健一