コンクールパート10
を今日は読みたいと思います。

「コンクール後について」

予選通過ならずに涙

決選に通過して涙

表彰されて涙

表彰されずに涙

必ず通過しなくてはいけない。

しかしその通過地点は

長い人生においては

本当に瞬きをしたぐらいの短い時間であるということを

考えたことがありますか?

それを冷静に考えられないと

コンクールが人生の全てみたいな偏った捉え方になる。

人間、ヒートアップしてる時に理性を失います。

予選通過しなかったことが

まるでこの世の終わりのごとく

ドラマの世界に突入する。

そういうシチュエーションに落ちる人を英語で

don’t be drama queen

と言います。

その場の嫌な雰囲気は

ちょっとしたユーモアで変えようとするのが賢いと思います。

誰でも目標にしてきたことが覆されること望んでる人なんかいません。

そしてその目標が真剣であればあるほど

目標達成できなくてdrama queen となって騒ぎたくなるでしょう。

人間なら少なからず皆が持つ感情だと思います。

こんな実話があります。

その昔ある振付家の先生が

あるバレリーナの高飛車な態度に怒り


外に連れ出したそうです。

「お前はこのバレエ団のトップで高飛車な態度を取ってるかもしれないが

ほら見てみろ!

誰もお前の存在は気付きもしないそうだ。

バレエ踊ってないお前の存在なんて

世間は誰も注目なんかしてないんだ!

いい加減に目を覚ませ!」と

そうなんです。

結果が良かろうが悪かろうが

バレエを知らない人間からしてみれば

まったくもって関心のないことであり

小さな世界で小さなことでドラマクイーンをやってる暇があるなら

もっと自分自身の芸術家を育てなさいということなのです。

審査する側もされる側も人間です。

そしてある一種のお祭り騒ぎは

はかなく消えていくんです。

だからこそお祭り騒ぎでうかれるのでなく

心を込めてを踊るに集中する(指導者はそれを見守る)

に集中する。

そしてその舞台の繰り広げられる美しい瞬間は

儚く消えていくどころか

人間の心に綺麗に残り後世に語り継がれる。

バレエに携わる人間は


「バレエを愛する人」であるべきで

「バレエ屋」であってはいけない。

私自身も常に反省しなくてはならない課題だと思います。