私の踊っていたザルツブルク州立劇場。
大好きだった映画「サウンドオブミュージック」で有名な街にある劇場で働ける、という夢が叶った喜びもありましたが、しだいにその感動は薄れていきます。
この劇場で5年間踊っていました。いわゆる「公務員」扱いでしたので、色んな生活面や保証は安定していました。
大好きだった映画「サウンドオブミュージック」で有名な街にある劇場で働ける、という夢が叶った喜びもありましたが、しだいにその感動は薄れていきます。
実際に住んでみたら、色んな壁にぶち当たりました。
観光客エリアではなく、地元民しか寄り付かない住宅地に住んでいた私は、好奇の目にさらされました。日本人どころか、アジア人もいない地域。あからさまな人種差別がありました。
ベルリンの壁崩壊後で、戦々恐々としたなかで、いきなりアジアから来た訳のわからない奴が
「自国民の職を奪ってまで移住している」
という目で見られる…命の危険こそ免れましたが、正々堂々と胸を張って暮らせない、みたいな居心地の悪さや恐怖感がありました。
しかし、暮らさなくてはいけない。負けていられない。
私は元々気性の激しい人間でもなく、社交的でもなく、むしろいじめられっ子で内気でした。しかし海外で内気だったら、いじめの対象どころか、存在すら認めてもらえない。
いじめられてもいいから、とにかく強気でいないと…自然と気性は激しくなりました。
あからさまな人種差別には徹底的に抗議しましたし、理不尽だ、と思うことには真っ向から対立したりもしました。
日本だと
「まあまあ、その辺は、大人なんだから穏便に、ね…」
みたいなことを言っていたら、自分の立ち位置がどんどんなくなる。
「YES」「NO」をはっきり言わなくてはいけない毎日。曖昧にしていると、必ず言われます。
「あ、典型的日本人」と。
そう言われまい、と必死に毎日過ごしていたら、しまいには
「いままで描いてきた日本人像とは違う。あなたって、本当にNO!と言える日本人なのね?」
と言われるようになりました。
「KenからYesという言葉を聞いたことがない」
と。褒め言葉なんだかなんだか?(笑)
と、言うわけで、未だに私のなかには、その気性は残っています。
嫌なものは嫌だし、我慢してまで「YES」とは言えない。おかしなことは「それ、変だよ!」と言ってしまう…
YES NO をはっきり言えるまで、そうとうな「覚悟」が要ると思います。
しかし、私の経験上、それが出来ると生きていてラクです。一番物事を吸収出来る10代後半から20代に、そのような価値観を身につけられて良かったです。
私が割とスピーディーに色々決断出来るようになったのは、海外生活経験があったからだ、と思います。
Part 5に続く。
左右木健一