私が日本を離れたのは、16歳の頃でした。

しかもヨーロッパみたいに遠くはないが、近いのに果てしなく遠い国、韓国…

韓国のユニバーサルバレエ団のオーディションが日本であり、ダメもとで受けてみたら合格。6月から来てくれ、と言われたのですが、高校2年生だった私は学校を休学しなくてはいけない…

ここからが大変でした。各教科の先生たちから毎日のように嫌味を言われ、挙げ句の果てに学校全体で私がバレエで学校を休む事に異論を唱える教師たちが会議…

しかし、どうにか色々な方が学校訪問して謝罪(なぜ謝る必要があるのか、わかりませんが、とにかく謝罪)説得してくださったおかげで韓国行きは決定。

事前に何を準備したら良いか、なんて何のアドバイスもないまま、日本を離れる日が刻々と迫ってきました。

今でこそ留学斡旋業者さんが、団体旅行のパックツアーの如く、持ち物リストなどを書いてくれて、通訳、同行までしてくれますが、そんな親切な業者さんもいなくて…

しかし、誰に言われなくても、これだけは当たり前に自分で気付きました。

「あ、韓国に行くのなら、絶対韓国語は必要。ディレクターはアメリカ人だから、もちろん英語必須。通訳なんていないんだから、誰も助けてくれないだろう」

と、いうことで、英語は高校で勉強出来るからともかく、韓国語は独学で。

そしてソウル到着…いきなり目に飛び込むハングル文字…

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今でこそ韓流がブームになっていて、別に韓国語が珍しくも何ともない日本。私が行った1985年の韓国は、まだまだ学生運動真っ只中でした。

ですからハングル文字なんて、まだまだ見慣れない文字でした。

そして現地に着いて、夜に初めて食べたのが…




ビビン麺。今でこそ大好きなので、動画はこの間韓国に行った時に撮りましたが…当時は一口食べただけで、あまりの辛さにギブアップ。

もちろんコンビニもなく、ホテルに食べ物が売っているわけでもなく…日本から食べ物を持って行ったわけでもなかったので、その日の夜はホテルの廊下に置いてあった変な味のお水(実は冷たいコーン茶だったのをお水、と信じていた)で空腹をしのいだ…という、今なら笑い話のこと。

こんな経験が最初の私と、今時の短期留学ツアーで至れりつくせりの子供たちでは、相当な差があると思います。

携帯なんかなくgoogle mapも翻訳サイトもない時代。

地図を片手に、辞書を片手に…

これから留学しようとしている皆さんは、ハードルが低くなったのがわかりますか?そんなに覚悟を決めなくても、気軽に日本を離れられる時代だと思いませんか?

本当に良い時代になりましたね。しかし、だからこそ安易に日本を離れると、後が大変なのだと思います…

Part 3へ 続く。

左右木健一