「みんな、持ってるから」
「みんな、そう思ってるから」
「みんな、嫌いだから」
この言葉に私は恐怖を覚えるのは何故か…を探ってみました。私自身に問題があるのか?と思い…
まずは自分の名字。
「左右木」という名字。これは私が選んだわけではなく、生まれた家が「左右木」だったからその姓を名乗るしか選択はなかった。
ここで嫌でもマイノリティの生活がスタートします。幼稚園の頃から毎日のように
「へえ〜変わった名前!」
「日本にそんな名前あるんだ!」
「ふざけた名前!」
「さゆうぎ〜?へんなの!」
「みぎひだり?ひだりみぎ?へんなの!」
「へえ、これでそおきって読むの?へんなの!」
先日タクシーを予約して、運転手にも言われた言葉です。自分の名字が「ふざけてる」と言われることは、さすがにもう慣れましたが(笑)
そんな私がバレエを始めました。
「男のくせにバレエやってる!」
「女しかやらないのに、バカ?」
「気持ち悪い!」
そんな風に毎日いじめられたくなくて、バレエは演劇のためにやっている、とカムフラージュするために、劇団ひまわりに入りました。TVや映画にも出演しました。
「誰も学校を早退なんかしないのに、目立ちたいからって俳優気取り」
「たいしていい顔してないのに、ブサイクなのに、何が子役俳優?」
はい。ブサイクなのにね(笑)ブサイクはつい最近も言われました。ごもっともです。自他共に認めるブサイクです。
その後劇団は辞めてバレエを頑張るようになったので部活には入りませんでした。教師たちから言われた言葉。
「部活に入らないおまえはかたわだ!」
ユニバーサルバレエ団に入団が決まったのが16歳。学校全体で会議があり、非難轟々…そして
「バレエなんかで食べていけるわけないのに」
「みんなが大学行くのに」
「韓国なんていくわけ?」
「韓国にバレエなんてあるわけ?」
そして本格的に日本を離れたあと、ヨーロッパでの出来事。5年間ザルツブルクに住んでいたときは、それこそ毎日差別との戦いでした。
「アジア人消えろ!」
「外国人出てけ!」
「アジア人って服、着るんだ。キモノじゃないの?」
唾を吐かれ、石を投げられました。
そして帰国。今度は日本のバレエ界から浮くようになりました。真面目に発表会仕事のリハーサルでパドドゥのヴァリエーションから何から手を抜かずに踊ったら他の男性たちに怒鳴られました。
「おまえが踊ると俺たちまで踊らされるだろ?発表会なんて子供をサポートすりゃあいいんだよ!まじめに踊るな、疲れるだろ。ここは日本なんだからみんなと歩調あわせろ!」
………すみません。読んでて不愉快でしたね。
こんな事を書いて、皆さんにお伝えする必要、全然ないのですが、もし今現在、マイノリティで苦しんでいらっしゃる方がいらっしゃったら、と思い、あえて書きました。
「みんなの選択とは違う選択をすることは、罪でも何でもない。まして自分の意思とは関係のない性別、苗字、国籍、肌の色…変えようのない現実からは逃れられず、それは一生つきまとう。それなら周りから差別を受けても、生きていく、という選択肢しかない。だから1人でも行動する力が自然と身についているはず」
そう思うんです。
私はどこかの権力にぶら下がって
「みんなで決めたんだから」
「伝統なんだから」
「いままでのやり方に口はさむな」
と言われて「はい」とは言えない人間になってしまいました。
「みんなって、具体的に誰ですか?」
「伝統?誰が決めたんですか?」
「いままでのやり方が100%正しいと決めたのは誰ですか?」
と「なぜ?」が必ず最初に来るようになり、理由なく「これをやれ!」と頭ごなしに言われることは、自分が理解出来ない場合は実行に移しません。
そんなマイノリティな私が活動してきた、この数ヶ月の写真…
「指導に来てください」
とお声がけ頂けることが、どれだけ有り難いか。
いまなら言えます。
この苗字で良かった。
このブサイクな顔で良かった。
この風変わりな性格で良かった。
みんなと同じだったら、気付かなかったことがある。それを神様に
「苦しんで気付け!そして悟れ!」
と、言われている感じがします。悟れていませんが(笑)
今日、仙台の指導のあと、明日チャコット勝どきスタジオに指導に行きます。
マイノリティな私が放つ情報ですから「みんなが…」ではなく、非常に風変わりですよ!(笑)
珍獣に会いに来るようなきもちで、ぜひお越し下さい!
左右木健一