今日は日本音楽高等学校にて授業でした。
授業のあとは、バレエコンサートの舞台稽古でした。
最近はこれに尽きます。
「理由を考える習慣を身につけて」と。
バーレッスンの時(と、言うより、最初に行うレベランスから)
「なぜ脚を開く必要がある?」
「なぜ腕の位置を確認する必要がある?」
「なぜ顔を決められた場所に向けなくてはいけない?」
と、繰り返し繰り返し生徒たちに聞きます。そして私の質問に即答出来て、はじめて
「理解できた」
となります。日本人の悪い癖で、疑問を抱かせない昔ながらの教育方法があります。
「大学に行きなさい!」
「なぜ?」
「なんでもいいからとにかく大学くらいは卒業しなさい!」
え?
なんでもいいなら、別に大学行かなくてもいいですよね?明確な理由なく、親から周りから言われて、そのままズルズル大学行きますか?成れの果てはどうなるか、目に見えますよね。
「バレエ辞めなさい!」
「なぜ?」
「みんなが受験で習い事じゃなくて塾に行ってるでしょ?なんでもいいから塾に行きなさい」
なぜ「みんなが…」なんでしょう?
みんなの為の人生なんですか?みんなが辞めるなら辞めるんですか?
そしたらみんなが嘘ついたら嘘つくんですか?
TVなどでも
「いま流行りの〇〇、みんなやってます」
と言われたら、乗り遅れないように、とりあえずやる。そこに意味はない…ないから本当の意味での収穫は得られない。得たい、という欲も本当は存在していなくて、その流行りに乗っかっただけ。そこには
「理由が存在しない」
そして、理由のないことを積み重ねた結果、得られるものはゼロ。そうなると今度は
「TVで流行りって言ってたからやったのに」
と、他人のせいにする…悪循環ですよね。
結局、本当に賢いひとは必ず物事に取り組む際には、なぜ取り組むか、の「理由」を考えています。
バレエも同じ。
「みんながコンクール出るから出る」
「みんながバレエを辞めるから辞める」
「みんなが部活に専念するから自分もバレエの回数減らす」
みんな、みんな、みんな…
赤の他人の「みんな」が、あなたの人生を保証してくれるんですか?
そこ、賢くなろうよ!と、指導しています。
ましてバレエは西洋から来た芸術です。
「何食べたい?」
「なんでもいい。みんなと同じで」
のメンタリティで育った芸術ではないです。
バレエを習うことで、常に自問自答を繰り返すことが出来ます。教師はアドバイスします。しかし、誰でも卒業できる小中学校ではないですし、旅行会社のツアーみたいにツアーガイドさんがいて至れりつくせり、ではない。
日本音楽高等学校で指導し始めてから、私も色々と勉強させて頂いております。
もっと明確に指導できるように、常に勉強して、いつか生徒たちに
「先生、なんでこのエクササイズ、必要なんですか?」
と問われたら、即答出来るように私自身も指導する「理由」を考えたいと思います。
左右木健一