私が留守中毎日練習していた生徒がいます。

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田中黎水那です。3歳からずっとうちの稽古場で頑張ってきました。

帰国後初の私の指導は、彼の個人指導からスタートしました。ドイツで学んだありとあらゆる事を彼に伝えました。

そして自主的に稽古場に来た女の子たちもいたので、ご褒美にこれを。

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ベルリン国立歌劇場バレエ団のパンフレット。

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私の指導方法もこの17年間のうちに本当に変わりました。

まず変わるきっかけを与えてくださったのは、英国ロイヤルバレエ学校校長のゲイリーン・ストック先生。昨日、お亡くなりになりました。本当に悲しいです。

ゲイリーン先生との出会いは2003年。札幌のジャパングランプリでした。

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長くお話出来る機会があり、当時指導方法を模索していた私に

「あなたの指導方法は間違ってないわよ。だから自信を持ってあなたの意志を貫きなさい」

という励ましのお言葉を頂戴いたしました。涙が出るほど嬉しかったです。

しかし、意志を貫けなかった時も…

結局、私自身が経験してきたり、国立のバレエ学校の先生達が考える「バレエ」のありかたと、趣味の領域の習い事と考えられている日本の「バレエ」では、水と油のような関係だ、という事実を私自身が受け入れることができず、正直精神的に辛い日々が何年も続きました。

いまでこそ、自分の身の丈に合い、なおかつ趣味の領域の習い事で通う子供達でも指導できるようにはなりましたが、本当に30代の頃は辛かったです。

もともとが確固たるアンドゥオールやポジションの完璧さを求められるバレエのレッスン、それがたとえ小学生であっても妥協してはいけない…しかし「趣味の領域」から脱出できないお習いごとのバレエにはそのような厳しさなど必要ないという現実、かたやどんどん過熱するコンクール…板挟みのなかずっとずっと悩んでいたときに、いつもゲイリーン先生の顔が思い浮かびました。

ゲイリーン先生は、どんな生徒であれ、ジャパングランプリやユースアメリカグランプリのワークショップの際は妥協していませんでした。時にはお腹がたるんでいる子をビシッと叩いたり、すぐに列に並べない子たちを叱責したりしていました。その凛とした姿が本当に美しかった…趣味の領域だろうが何だろうが容赦しなかった先生でした。本物を伝える使命、みたいなものに全身全霊を注がれていました。

うちのスクールは海外留学を目指す子もいれば、英語塾の合間にバレエに通う子もいれば、本当にまちまちです。ですから国立バレエ学校のような厳格なレッスンをするには限界がある…だから本気でバレエを続けたい子には海外留学を勧めていますし、
最近では大人の皆様にもバレエを楽しんでもらえるようになりましたし、私も少しずつではありますが「趣味の領域」で楽しむ方々の気持ちは理解出来るようになりました。

しかし、その趣味の領域のなかでも「品格」と「質」だけは妥協しなくない。これがゲイリーン先生から学んだことだと思います。

明日から5月。一つの舞台を終えたのもあり、ドイツで学んだこともあり、ゲイリーン先生の訃報を聞いたこともあり…私自身のなかで、何かが吹っ切れて、一つの時代が終わった感じがします。

生かされている今を大事に、そして品格を失わないように…

頑張りたいと思います。

左右木健一