以下、小沢健二さんの文章の引用です。


『ブギーバック』は本当にみんなに愛されているなぁと思う。

 カバーも色んな人たちが色んなスタイルでしてくれていて、さらに「フェスでスチャダラさんにオザケンパートを歌えと言われて歌いました」というミュージシャン、芸人さんは数知れないはずで、もちろんうれしく、でもなんというか、あわあわしながら、あ、あ、ありがとう、すみませんっ! みたいな気持ちにもなる。

 ブギーバックが愛される理由を考えてみると、おそらくビートのタイトさ、慣用句を駆使したリリックのかっこよさ、そしてやっぱり、「僕をそっと包むようなハーモニー」の「ハー」の音、とは思う。

 あの音はドレミで言うと(最初はAマイナーで作っていた)「ファミレドシー(つむよなハー)」となる「シー」の音。1993年のある夜にキーボードでメロディーを作っていて、あの「シ」の白いキーを押した瞬間はよく憶えている。

 正確には「シ」に指が落ちる、直前を憶えている。「あ、このシだ! ここに指が落ちるんだ」とわかった瞬間。

 その瞬間、時間はスローになって、シの音が鳴って、未来が開いた。

 アブラカダブラ。

 あの「包むようなハーモニー」の「ハー」にあたる「シ」の音には、憂いがある。

 あれが明るい「レ」とか、力強い「ソ」とか、実直な「ド」だったら、呪文は無効となり、未来は開かない(たぶん)。

 ブギーバックの呪文は、美しく憂いている、と思う。

 そう考えると、ブギーバックは色んなみんなに愛されているけれど、その「色んな」は表面上のこと(見かけとか)に過ぎなくて、同じ憂いを持っていて、同じ渇きを持っていて、それを潤してくれるミルク・アン・ハニーを渇望している人がたくさんいる、ということかもしれない。

 マジ泣ける、っす。

 印象に残っているカバーは数あるけれど、当時16歳だったはずの宇多田ヒカルさんのカバー(1999年)には驚いた。

 宇多田さんとはカバーを知った後、一度ニューヨークのカフェでお茶させていただいたことがある。心身ともに疲れはてていた時わら、だったので、とても楽しかった。

 あとカバーではないけど、たしか1996年の初頭、糸井重里さんのお宅で木村拓哉さんと食事をした時に、糸井さんが「ブギーバックいいよねぇ」とおっしゃって、お酒も召されていたので間違えて「♪今夜フロアーに~」と歌い出したところ、すかさず木村さんが糸井さんを横目で見て「ダ・ン・ス・フ・ロ・ア・ー・に!」と訂正を入れてくれたのは、なんともうれしかった。僕は歌詞の記憶違いとか空耳は全く気にならないのだが、さすがのキムタクであった。笑

 しかし後から、「今夜フロアーに」は実にキャッチーで(タイトルを踏まえていて)、さすがの糸井さん、とも思った。なので2002年の僕のアルバム『エクレクティック』では、その東京の夜の楽しかった記憶とともに、「今夜フロアーに」と歌っている。

 こういうエピソードにはきりがない。

 さすがのブギーバック、か。

 ブギーバックのリリース日は1994年3月9日(検索はしていない。記憶)。でも楽曲の起源は、その2年前の1992年にある。

 1991年9月、あるライブにゲスト出演するために渋谷クアトロの楽屋にいた僕は、当時のパートナーだった小山田に(31年前。いつだそれは。笑)「もうフリッパーズ、やめにしない?」と言って、僕自身が「パーフリ」とか業界風の呼び名まで(もちろん冗談で)作って楽しんでいた、フリッパーズ・ギターを壊した。小山田は彼特有の上向きの視線で僕を見て、しばらく黙っていた。

 パーフリを壊してしまった僕は、壊してしまったのだから、パーフリの関係者とか周辺の人たちとは仕事をする気も交友する気もなかった。倫理感でも直感でも、それが当然と思った。

 そうなるとかなり孤立するわけだが、それはまぁ、自分の決心の帰結。その後『犬キャラ』から『LIFE』へと自分が進んでいくためには必要なプロセスだったと、今は思っている。

 ともあれ、そういう時期だった1992年、23、4歳の頃、僕はBoseくんたちと親しくなった。


   Boseくんとは、その後は家族みたいなものだ。Boseくんが長年一緒に暮らしていたフレンチブルドッグ、コパンの誕生日は僕と同じ日だし、Boseくんの娘さんと僕の長男はほぼ時同じく、6日しか離れず生まれた。

 ゲバたん(娘さん8歳)とりーりー(長男8歳)は、同じ星の波に乗ってやってきたのだろう。

 アニくんとシンコくんは僕と同じ川崎北部で育った上に、昭和インテリっぽい両親の感じ(親の子どもへの影響は、親になるとよくわかる)も似ていて、話のニュアンスがよくわかった。

 3人とも、とてもきれいな人たちと、その頃思ったし、今も思う。

 1992年の僕らはお酒と音楽の日々で、夜になると何をするでもなく、青山や渋谷や下北沢のクラブに出かけた。だから「ダンスフロアーに華やかな光 僕をそっと包むようなハーモニー」は、僕にとってはただただ1992年の直描で、その時だけ知っていた人、今も知っている人、多くの名前と顔が浮かぶ。

 その年のある夜、僕は酔っ払ったシンコが「これってさぁ、後で『1992年はすごかったね』って話になるのかね?」と言ったのを憶えている。

 うーん、1992年のあのたくさんの一切生産性のない夜から『今夜はブギーバック』が出現したのだから、1992年はすごかったってことに、してもいいのかも。

 種が土に落ちてから芽を出すまでには、時間がかかるのだ。

 そういえばアニくんが先日、その頃の僕らについて「ネットでは全然違う話になってる」と教えてくれたので、ちょっと書いておく。

 俗に「ブギーバックマンション」と呼ばれる建物は目黒区下目黒にあり、1993年から僕の部屋が5階に、1994年からアニ・シンコの部屋(であり、スチャダラの基地)が6階にあった。

 建物は下目黒を歩いていた僕がふと見上げて「あ、ここに空き部屋ないかな?」と思って入った建物で、その時に大家さんが見せてくれた天井ブチ抜き、コンクリむき出しの、東京タワーが見える部屋に僕が住んでいたところ、上の階に空室が出たのでアニとシンコに伝え、気に入った二人がブギーバックの録音が終わった直後に引っ越してきた。

 スチャダラと知り合ったのはその4年前、仲良くなったのはその3年前、1991年のお正月からだから、こないだアニから聞いた「オザケンとスチャダラはブギーバックマンションで知り合った」とかいうネットの情報はまったく違う(まぁ、そんなもんですね、他のことでも。誤情報もコピーされて数がふえると、数が根拠になってしまう)。

 ともあれ彼らが引っ越してきてからは、深夜に階段で5階と6階を行き来する足音は、結構なものだったと思う。

『ブギーバック』は僕の録音の時系列上、先日再発したら驚くほど売れた(めちゃくちゃうれしかった)ファーストアルバム『犬キャラ』に一番近い。

 だから僕の感覚でいうと例のブギーバックの「憂い」は、ファーストの『地上の夜』とか『昨日と今日』に近い。

 つまり、『昨日と今日』は「ダンスフロアーの華やかな光」を嫌うような隅のバーカウンターからの曲だし、『地上の夜』は「包むようなハーモニー」がクラブのスピーカーから流れてくるのではなく、星空から、宇宙から流れてくる、みたいな曲。

 そういう意味では『天使たちのシーン』と『ブギーバック』も、僕の感覚としては、とても近い。

 ご存知のように、ファーストに比べて、ブギーバックが入っている僕のセカンド『LIFE』は明るい。脳天気、と思う人もいるだろう。

 でもその明るさは、ファーストにある憂いとか悲しさとかを前提としていて、『LIFE』の中のブギーバックは、ちょうどファーストとセカンドを繋ぐ曲という気が、僕はしている。


    思うことがある。例えば『LIFE』は、夜中3時にクラブから帰ってきてまだお互いの部屋に行くことができたブギーバックマンションで暮らしながら作っていなかったら、ああいうアルバムになっていただろうか。

 僕に限らず(もちろん)個人というのは、濃い関係も薄い関係も、良い関係も良くない関係も含めて、人間関係の中にいる。

 近くにいるのにあまり意識しない人とか、もちろん意識してそばにいる、友人たちや(いるならば)恋人、家族。

 意識して別れたり、無意識で離れたり、意識して友だちになろう、恋人になりませんか、と、どきどき手をのばしたり。

 そうやって、関係の中で個人は生きている。もちろん、一人としての、意思を持って。でも、完全に一人でいる人はいない。

 どこまでが個人の意思で、どこまでがもっと大きな、意識するもの・意識しないものが集まった、関係の中にあるのか。

 わからない。

 宇宙は複雑。

 でも、あれだ、神の手の中にあるのなら、その時々にできることは。

 

 ブギーバックマンションの僕の部屋は、ちょうど昨日流れはじめたサントリーのCMの部屋のように、狭くて、精一杯にお洒落で、本やギターやレコードや、期待や不安や危さや、それこそ憂いで散らかっていた。

 でも、そういう部屋のパワーってある。

 憂いは、嫌だけど、決して悪くはない。

「ハーモニーのハの音の憂い」は、1992年の僕らの正直なところだと思う。

 92年、まぁその、孤独に帰った僕は、自分がその後『犬』、そして『LIFE』へ進んで行けるか、予感はあっても自信はなかったし、スチャの三人も着実なビジネスプランを持っているような若者ではなかった。

『今夜はブギーバック』はそういう、期待と不安と憂いを、そしてそれらが持つ、いまいち認めたくない美しさを、捉えているのかなぁと思う。

 捉えられていたら、うれしい。

 さて、もうすぐ、発売日だった3月9日。

 例のCMのように、ブギーバックのカバーを聞かせて(あるいは見せて)はくれませんか? 

 これから録音するカバーでも、以前録音したカバーでも、あるいは音楽ではなくて、4コマ漫画でカバーした、短歌でカバーした、デザインでカバーした、レゴでカバーした、とかでも良いです。ジャンル関係なく、ブギーバックの「カバー」。

 ラップだけでも、メロだけでも、一場面だけでも、tofubeatsさんたちのように、マッシュアップでも。

 3月9日の夜20時から、#今夜はブギーバック で、TwitterでもTikTokでもInstaでもYouTubeでも、お好きな場所にアップしてくだされば、4人でピザ、チキンなど食べつつ見つけて、リアルタイムでタイプしてコメントします(前に『強い気持ち』1995を聴いた時のように)。

 3月9日20時から始めて、22時すぎには終わります。次の日、平日ですし。

 では、その時に!

2022年

東京タワーが見える部屋

小沢健二

追伸 

 6月の全国ツアー(ガイドライン、プロトコルを守って予定どおり)で、なんか『あの大きな心』をやりたいんですよ、エクレクティックの。ストリングス入りで。

#今夜はブギーバック