皆さんこんにちは。
このブログを読んだ方の中でも、創価学会の友人知人から入会を勧められたり、過度の勧誘に合われた方もいらっしゃることでしょう。
ちなみにこのことを語ろうとしている私も、今までに数人の友人と知人を創価学会に入会させています。
もちろん、過度の勧誘もしてきました。今現在は、そのような勧誘はしておりません。また、私が属している地域の創価学会のメンバーにも慎重に慎重を重ねて、そのような過度の執拗な勧誘はさせないように指導しています。
理論的には簡単なことで、野球が上手くなりたくない人は、自分で自ら教わるために、また、野球をやるために近くの野球チームや、草野球チームに入ったりすると思いますが、特に教わろうとか、やろうとか思っていない人に、無理やり教えても、それで?って感じですよね。理論的にはこれと同じです。
それは周りの人が勧誘活動をしているのを見てきて、また、実際に自分が経験してきて、これは自分も嫌われるが、創価学会そのものが嫌われると感じる部分がたくさんあったからです。
具体的に上げると、きりが無いほど有りますし、議論の的になりますので、ここでは、どのような心理で勧誘をしているかをお伝えできればと思います。
これは創価学会側から見た事です。勧誘の事を折伏(しゃくぶく)と言います。知ってたらごめんなさい。
まず、教義上のことになりますが、簡単に申し上げると、最も難しく最上級の修行であると言うこと。
ここでは相手の事はともかくとして、その行動をしている自分が成長するという糧を得られたり、幸福感を得られてりしています。ですので、とてもテンションが高かったり、愛想が気持ち悪いくらい良かったりするかもしれません。
私の中で、折伏(勧誘)の達人と仰いでいる人のエピソードだが、それはそれは素晴らしかった。相手に嫌悪感や、押し付けをせず、爽快感や安堵感すら感じた。その人を明かすことができないので、少し抽象的であるが、一つ例を挙げると、私に3人悩んでいる人を紹介してくださいとある方に伝え、わずか一週間で、3人とも入会した。
後に、その3人の人にどのような気持ちで入会したかを伺ったことがあるのだが、今までの創価学会の勧誘(折伏)とは違っていて、宗教観すらも変えられた気分でしたと言っていました。
その状況を見ていた私も今までの自分がやっていた事、全ての世界観を覆されました。
その方の折伏(勧誘)は少し別次元の話しになるので、今日の創価学会批判を作り上げてきたといって良い折伏(勧誘)は、強引な手法と、囲みである。
強引な手法は、うんと言うまで帰れない雰囲気を作り出したり、3時間も4時間も会館や個人の家で監禁じゃないかと言われるほどの恐怖感を与えてしまったりする事である。
また、囲みとは知らない創価学会員が多数来て、色んな話しをすること。
今でもそのような手法をやろうとする地域は有ります。事実、数年前に私もそれを幹部の勝手な判断でやってしまい、相手に大変な嫌悪感を与えてしまいました。
私はその相手と、その人を連れてきた創価学会員に謝罪をし、幹部になぜこのような事をしたのかを問い詰めました。非常に反省をしていたので、今後このような方法は取らないということを約束して、一旦解決をみましたが、今でも相手の事を思うと、本当に申し訳ないと心が痛みます。
両方に共通しているのが、折伏(勧誘)は地域の組織全体が盛り上がったりするので、結果に焦った非常に相手を愚弄した考え方に基づいていると言えるでしょう。
つまりは、決して宗教本来の意味を逸脱した、幸せにしたいという慈悲心ではなく、結果を出したいという営業のノルマのような感覚であること。
もし、そのような行為を現在もされているというかたは、きっぱりと断ってください。もし断ってもしつこくしてくる場合は、法的措置や、警察に連絡すると言ってください。
でないとやめない可能性が有ります。基本善意でやっているので、その善意がなんで分からないのかという感覚を持っているケースがあります。押し付けを感じたら、きっぱりと断ってください。また、そのような場所に連れて行かれる前に、私はなにを言われても入会しないと伝えてください。
断っても教義上の難しい話を聞いたりしても苦痛なだけですから、きっちりと断ってください。
私自身は、そのような勧誘活動とは、創価学会の組織の中でやめさせるために断固とした態度で話しをしています。本当にそのような方法が大嫌いなので、私のいる地域ではやらせません。
長々とごめんなさい、続きはまたの機会に。