先日、ある精神科医の先生に
「医療的自我」
ということを教わりました。
「人格」「人柄」も治療の道具の一つ
ということのようです。
だから、「それを高める為に努力するんだよ」というお話でした。
体験的には「考え方が違うと治療も違っちゃうよね」と思っておりましたけれども、
そういう用語があるとは知りませんでした。
私もそこそこキャリアを積んできて、色々な方にお会いしてきましたけれども、
なぜかしっくりこない診療をしているなぁと思う人は、
やっぱり裏で気を抜いた時に見せる人柄がイマイチの場合が多かったと思います。
普段の会話や態度が自分本位の方は、治療でも患者様の話に耳を傾けることなく、
自分本位に治療を進めたがり、
気に入らないとイライラしたり、誰かのせいにして自己正当化します。
1日に15回 20回とスタッフを怒鳴ってた院長先生も、今思えば治療内容も短絡的で粘り強さのない感じだった気がします。
また、
近年の歯科業界は厳しいと言われているせいか、
「一生懸命やっても報われない」
と思ってる人が多い感じがします。
そのような感覚を持っている方は、
「一生懸命治療してもどうせ(患者様には)分かってもらえない」
というふうに思ってることが多い気がします。というより実際にそういう声を耳にします。
するとやっぱり治療も詰めが甘かったりします。
卵が先か鶏が先かで
もともと詰めが甘い人が「報われない」という都合のいい言い訳をみつけたのかもしれませんが、
どちらにしろ詰めが甘いので、取り入れる方法も材料も「誰々が言っていた」という程度で採用します。
その精神科医の先生は他にも
「医療人になったら一生勉強」
と仰っていましたけれども、
思い返せば私の師匠も、
「文献精査していたら、今の治療よりこっちの方がいいようなので今日からこうして下さい」
という変更がしょっちゅうありました。
それだけ勉強していたのだと思うと、やっぱり尊敬してしまいます。
これも、
「もう自分は出来ている」
「今までそれで問題は起きなかった」
という態度がある人とは大きく違ってしまうところだと思います。
変えるのが面倒臭いんでしょうね。
こういう所は面倒くさがって変えないんですけれど、なぜか方法とか材料とかは新しいものに飛びつきます。
変えない所は全然変えず、変えるところはガラリと変え過ぎるので、その程度調整のセンスが育っていなくてトータルでチンプンカンプンな感じになってる人もいます。
「医療的自我」
を大きな範囲で育てていくことを考えないと、私も終わってしまいそうなので、これからまた一生懸命頑張っていこうと思います