私には、長年療育施設で働いていて、息子の話をずっと聞いてくれている友人がいます。
この友人と、息子の事や私自身の事で聞いてほしい事があってラインのやりとりをしていた時に、友人がふいにこの言葉(写真)を送ってくれました。
これは、友人がとても尊敬している方の言葉で、
「とても共感しない?」と私に問いかけました。
この文章を読んで、みなさんはどう思いますか?
正直に言うと、私は、45分座らせたい養育者の気持ちにまず共感してしまいました。
なぜ、ここに共感してしまうんだろうと考えたら、
『どうか、息子が45分座れなくても息子に冷たい視線がそそがないで泣
その視線の意味に息子が気づいたら、息子はきっと傷つくいてしまう。考えただけで胸がえぐられる。周りを変えることは難しいから、息子にできるようになってほしい。』
という、私の親としての気持ちがあったからでした。
なので、私は正直にその事を伝えました。
そしたら、友人は、まず、こういった内容について共感を求めるべきではなかったと反省した事と、伝えてくれた事の感謝を送ってくれました。
そして、友人が支援者になりたいと思った経験や、仕事に対する決意を伝えてくれ、そして、
『45分着席が難しい子がいて、その子に対して冷たい目を向ける人がいる。そんな環境があるなら、その環境側へアプローチしていきたいと思う。生きにくい社会を変えていかなくちゃいけないと、会社全体で本気で思っている。本人のスキルアップは、楽しさや発見に繋がるからもちろんしていきたい。でもそれだけじゃなくて、色んな違いを多様性として認めて生きやすい世の中にしたいと思っている。』
と伝えてくれました。
私には、壮大すぎてなかなか理解できない言葉でした。
なぜなら、私は、発達障害を育てる親の孤独や疎外感を嫌というほど感じる経験をしていたからです。
正直、理想論だと思いました。
そうなればいいけどね〜という気持ちでした。
ただ、それからずっと、この写真の文章と友人の言葉が、心に残っていて、色んな場面でよぎるようになりました。
息子が、大好きな動物人形に夢中で、私の声が全く届かない時。
思い通りにできず、癇癪を起こした時。
公園にきて、いつもと同じ木に何度も繰り返しずっと登っている時。
集団行動が全くできず、1人フラ〜とどこかへ行ってしまう話を聞いた時。
2人の言葉が浮かんできては考えて消えて、浮かんできては考えて消えてを、何度も繰り返すうちに、私の中でようやく現実的なものとして捉えれるようになってきました。
長くなるので続きます。
