前回の続きです。






まず、《自分で決める力。自発的に意思を伝える力》

確かに、息子が自分で決める力と意思を伝える力があれば、息子自身が、自分で過ごしやすい環境を作っていけるかもしれないと思いました。
息子自身が最良だと思う状況を作るために、何が必要なのか考え、決定する力は、必要不可欠で、そして、それを人に伝える力があれば、相互の理解もより一層深まると感じました。
「疲れたよ」
「ここにいたくないよ」
「できないから手伝って」
「あっちに行きたいよ」
など、息子が決め、自発的に言葉にできる力を持つことは、とても平和で、とても自由で、とても学びの多い解決策なのかもしれないと考えるようになりました。


そして、《環境側へのアプローチ》

これは、とても難しい事だと感じていましたが、《多様性を受け入れる側》と考えると、実現可能な事の気がしてきました。

例えば、昭和では、同性愛者は異常者だと暗に言われていましたが、今はドラマ化されヒットしたり、カミングアウトも若い人を中心によく聞くようになりました。

「男だから」「女だから」なんて言葉は、とても古いものになりました。

結婚の価値観は変わり、今では色んな形を選べる時代になりました。

男性も、お化粧、エステ、脱毛が身近なものになりました。

これら以外にも、たくさんあります。

常識が崩れ、《多様性》を受け入れる事に、私自身、違和感を感じず、抵抗もありません。

むしろ、面白いと感じています。

これからもっと、色んな常識や崩れて、《多様性》が面白い時代になるんじゃないかなと感じた時に、発達障害も、その《多様性》の中の一つに過ぎないんじゃないと思い始めました。

多様性が当たり前になって、多様性が《普通》になっていく今を感じた時に、《環境側へのアプローチ》は、そこまで難しいものではないのかもしれないと思いました。


なぜなら、ほんの少し前まで、

「親の躾が悪い」
「脳に隙間がある」
「困った子」
「親の育ちが悪い」

など、否定的な事ばかり言われていた発達障害ですが、今では特集の番組が組まれたり、有名人が自分の特性をテレビで話したり、療育施設や放課後デイも物凄い勢いで増えて、「うちの子発達障害なんだ〜、自閉症なんだ〜」というと、結構な確率で「うちの親戚もそうだよ〜、私の友達の子がそうだよ〜、うちの子もそうなんだ〜」とかえってきたり、世間の流れも変わり、人もものすごい増えています。

こんな事、昔はきっと考えられなかったんじゃないかなと思うと、《多様性を受け入れる事》は、そこまで難しいものじゃないと思います。

それなら、《環境側へのアプローチ》も不可能ではないと思いました。


ただ、もし今後、

《環境側へのアプローチ》が必要な場面におかれた時には、

《人それぞれ、様々な価値観や感性があり、そのほとんどは許されるものである事。
そして、日々進化していくものである事。》

を決して忘れずに、相手と柔く柔軟に向き合っていくことも、とても大切な事だと思いました。




《相手を受け入れ、自分を認める。》

我が子達に持っていてほしいし、私もそんな優しくて強い人になりたいなと思います。








最後に、




いつか、この、45分座れない子が
「先生、疲れたので休憩させてください。」と自ら決めて伝える事ができ、そして、それを見た周りの人間が
《物事には人それぞれの選択肢がある》事を、認め合える環境なら、これ以上に平和で幸せは学びはないなと思います。

私の力なんて、本当に微力ですが、実現に向けて頑張っていこうと思います。




この素晴らしい事実に気づかせてくれた友人に心から感謝します。






全ての子供達が生き生きと笑顔で、楽しい日々を過ごせますように。







長々と読んでくださり、ありがとうございます。