この猛暑の中、少々ためらったが、「椿組」という劇集団の花園野外劇を見に行くことにした。

 

 

初めてレストランに入り、腹ごしらえです。思い切って鶏肉のローストを食べました。

 

新宿花園神社で。

 

39年間継続してきた野外劇も、この公演を最後に、幕を閉じるという。

見ておかなくてはなりません。

ましてや作品は、芥川賞受賞作家の中上健次氏の唯一の戯曲作品であります。

 

赤い鳥居をくぐり抜けると舞台となる花園神社の境内は、まるで夏祭りの景色の中に迷い込んだ様に感じてしまいます。

 

 

 

 

 

すでに汗まみれの役者達の大声での呼び込みや、グッズの販売、宣伝、観客の整理と、活気に満ちています。

 

 

 

 

 

劇場内でも役者達が、ビールや酎ハイ水にお茶・・・グッズやそしてオリジナルの団扇が配られています。その前を通り、トイレに行く私。

 

 

私は劇場(というより芝居小屋)に入る前から、この劇集団の正体の一端を見てとった様です。

 

何か懐かしいのです。

 

それも余程の遠い昔、田舎に住む祖母に手を引かれ、渋々見に行った村芝居を想起させて、決して戻れない過去を取り戻し、私を追憶の中に浸らせていく心地よい時の流れを感じます。

 

 

さて舞台は、役者達の、くんずほぐれつ、怒号や叫び声など若いエネルギーの発散する熱気が、寧ろこの異常な暑さを吹き飛ばさんばかりです。

だが、現実はそう甘くはありません。駆け引きなしに熱いのです。

 

私はたまらず、冷却剤をタオルで首に巻き、団扇を忙しく煽りながら何とか暑さを凌ぐことにした。

 

舞台は次から次へと、工夫を凝らしたアイデアが繰り出され、エンターテインメントに徹して、観客を飽きさせず、方向性を確立させ、それに向かって、スタッフ、キャスト全員が敢然と邁進していく姿は、潔よく美しいのです。

これらは、かつて何処かで自らも経験し、見聞きしてきた懐かしく、貴重なものです。

 

この「椿組」の花園神社での終幕は、奇しくも演劇表現の一つの形態が、時代と共に駆け抜け変遷し終焉を迎えると言う様相を、まさに見届ける結果となりました。

 

惜しむらくは、舞台が野外と言う事もあり、通常の劇場の様に反響阪もなく、その為、役者はやむなく叫びにも似た大声で演じるのは致し方ないとしても、中上健次氏の美しい言葉の台詞が、途切れ途切れに単語の羅列としてしか伝わってこない役者の在ったのは少々残念でした。

 

役者側にしてみれば、確かに過酷な舞台条件ではあるが、その条件下でも観客に十分伝える事のできている役者も存在したのは事実であります。

いずれにしろ、観客へのサービス精神と経営力、思考を練り重ね、意表を突いた舞台作りは、熱気溢れる圧巻と言うべきものでした。

最後に、舞台後部のセットが外された時、新宿の裏通りをバスが通り、街をゆく人々が驚いて舞台を覗き込む、その瞬間、ハッと我々は芝居を見ていた事に気づき、日常へと引き戻されます。

この終幕が、冷酷さと共に感動を呼び、ほっとして終わります。

 

お疲れ様でした。