第二期生の皆さん、卒業おめでとう御座います。
君達は、あまりにも強い刺激と情報過多に満ちた時代の真っ只中を生きています。
文明の発展は、あらゆる分野からの解答を瞬時に提供してくれます。
ともすれば、それらが君達から、努力や工夫する事や思考力を横取りし、右へ並えの無難で、平均点優先の精神を強要したのかもしれません。
君たちが迷っていることは知っています。
それは、我々みんなが迷っているのですから。
君たちは何事かを成さねばならぬと焦っていることも知っています。
それも、我々みんなが焦っていることですから。
しかし君達は「我考う(思う)故に我あり」と言う言葉の真意に気付かなければなりません。
それは常に考えること、常に疑うこと、常に努力、工夫する事の繰り返しのみが、我々を道化芝居から、また、マンネリ芝居から救い出してくれると言う事なのですから。
どんな卑属な空気の中でも、
君達の知的好奇心を眠らせてはいけません。
そして演劇に対して真摯に向き合い,謙虚さを失ってはなりません。
先輩への、礼節を欠く様な集団は破滅を速める事になるでしょう。
君達は、あの人の様な素敵な俳優になりたいとか、表面的な俳優業の眩しさに憧れて、この道を選んだことでしょう。
しかし、これからは、「自分は俳優なんだ」と言う自我に目覚めなければいけないのです。
配役され、稽古に入り、舞台に立つ、その期間だけだけ、自分は役者だと自己表現をする人が意外と多いことに驚かされます。
たとえ、舞台から解放されて、ありふれた私生活の中にいても、常に俳優としての目線を忘れずに、あらゆるものを観察しながら、それらを体内に収め、常に栄養補給を心がけなければなりません。
日々の煩雑な生活に翻弄されているとき、ふと立ち止まって、人知れず野辺に咲く、一輪の花の美しさに感動する。
こんな事さえ忘れてはいないでしょうか。
この様なことは、今までも繰り返し教示されてきました。
俳優の仕事は,勇んで手に入れた知的感動や、感受性や知識を己の深部に溜め込み、ゆっくり時間をかけて熟成させなければなりません。
そうして役を与えられた時、じっくり熟成させ溜め込んだ物の中から一部を取り出して役の中に注入し、言葉と動きを通してし、温かい血が流れる人間を演じ、観客の心を捉えなくてはなりません。
そこに貴方だけの持つ個性的なキャラクターが生まれるのです。
私は君達の中に、大輪の花の開く時を延頸鶴望して待ってます。
さあ、これからゴールの見えない長い旅の始まりです。
先ずは、心身共に体力を鍛えて下さい。
北村総一朗。
場内にスピーカーから流れる私の朗読(上記の文章)に耳を傾けている養成所卒業生達。
独白。
卒業式に出席して、直接、君たちの顔を見ながら、エールを贈りたかった。
どうも、体が思う様には働いてくれません。
やむ無く、私の声を録音してお届けすることにします。残念です。
今は、一人この部屋で、君達を想い、今後のご活躍を静かに願っています。
私の初演出、新藤兼人作『ふくろう』に出演した女優さんたちと一緒に。(サービスカットです)