今更、何を言ってるのか時代錯誤も甚だしいと失笑されるでしょうが、最近車を手放し、電車やバスと公共交通機関を利用するようになって、その余りにも変貌した現在の車内の様相に、寂しく戸惑うのです。

 

私の若い頃は、読書をしたり、新聞や雑誌を読んだり、疲れたて他人の肩にもたれかけてる人達を多く見かけたものです。

満員電車の中で、新聞を広げて読む事を非難しながらも、その新聞を横目で盗み見して、ふと気付かれて慌てて目を逸らす、なんて事がたびたびでした。

仲間同士の交わしている楽しい会話も快く耳にしたものです。

良くも悪くも、人と人との繋がりがあったように思います。

それとは余りにも違う景色が今、病院へ向かう僕の面前に広がってます。

座っている人は勿論のこと、立っている人までもが指を忙しく動かして一様に下を向いてスマートフォンを見つめています。

驚くことに目を閉じている人さえも、手にスマホをしっかり握っています。

 

現代人の寂寥感を感じてしまう一景です。

車内の主役は孤独なスマホです。

若い人達にはどうやらイヤフォンが脇役のようです。

 

文明の利器は、新しい時代を創り、私自身もその恩恵を蒙り、昭和は益々霞んでいくようです。

 

時代は潔く変わりました。

 

そんな老人のノスタルジーに浸りながら、重粒子線治療後の6ケ月点検の為、私にとって厳しい現実の待つQST病院へと妻と共に向かいました。

 

さて、40分ばかりのMRIの検査を終えて、その結果に躊躇逡巡しながらも、診察室へと向かいました。

 

主治医の先生と画像を見ます。

8mm程度の癌は未だにいるものの、発見時に比べて成長してるわけでも無く、転移も今のところ見当たらない。「経過は頗る順調です」と言う先生の言葉に、やっと安堵して、妻を見ます。

ニコッと笑い返す妻。

ああ、これが幸せの姿かと、しみじみ噛み締める瞬間です。

 

しかし、抗がん剤は続けること、今後、3ヶ月ごとの定期検診は受ける事を言い渡されました。

 

さぁ帰ろうとした待合室に、何と高校時代の同窓生が、私を尋ねて、待ってくれていたのです。嬉しさに胸が熱いです。

若かりし高校時代が昨日のように蘇り、思い出話に尽きる事なく花が咲きます。貴重で楽しいひとときでした。

楽しい時間の最後は矢張り、同窓生の逝去の便りです。

「ああ彼もか」「えぇ彼女も」と驚嘆し、その死を悼むと同時に、淋しい諦観の情が湧くのです。

そうか、行くべき時に行くべきところに逝ったんだ。

「お疲れ様」と思うのです。

 

僕らは決して沈鬱にはなりません。

 

残された時間を、粉骨砕身、進み続けるのみです。