今年は、昨年4月義母が他界した為、年末年始のご挨拶は御遠慮させていただいた。

 

それでも、毎年の元旦の習慣で、つい郵便受けを覗いてみる。

 

当たり前の様に年賀状は、殆どない。

何か寂しいのだ。

 

普段は、空威張りして、その面倒くささに「虚礼廃止」などと、公言して憚らないが、いざ年賀状が来ない正月は、MailやLINEでのそれと同じく、まるで炭酸の抜けたコーラの様だ。

 

今の、若い人たちには反感を受けるのを覚悟で、あえて私の昭和へのノスタルジーを書き留めておく。

 

昭和と言えば、ここ数年、昭和の時代を生き抜き、世界的にも国内的にもその卓越した才能を放ち、我々に誇りと勇気と楽しみを与え続けてくれた著名人の方々が次々に泉下の客となった。

ここに謹んでお悔やみを申し上げると共に、その偉大な功績を讃え、感謝の意を表します。

お疲れ様でした。

そして、ありがとう御座いました。

 

昭和が、確実に後ろに沈んでゆく。

今、新時代が暗雲を孕んで大きく動き出した様だ。

 

安部晋三元総理の不慮の死以来、それらの動きが顕著になった様に感じるのは、私だけの偏見だろうか?

 

何故か、長きにわたりタブー視されて来たある宗教団体に、突如、解散命令請求が行われた。

政治家の理解し難い不正行為も次々と露呈し、挙げれば枚挙にいとまがないが、それらにつられる様に、長い年月TV局の見ざる、言わざる、聞かざるの悪癖が、マスメディアの無関心と相まって、ジャニーズの悍ましい閉鎖的な社会を生む事になる。

 

今後、新社名をSTARTO ENTERTAINMENTと改名して再起を期す事となった。

新会社の意気軒昂な活動を大いに期待するものである。

 

昭和は大きな精神的負債を抱えてしまった。

 

願わくば、これからの日本は、若い力が、「新しい日本の夜明けぜよ」と龍馬の言の如く、(言ったかどうかは定かではないが)希望を持てる平和な国を設計し、構築してもらいたいと切望する。

私は、その若い力に確かな一条の光を感じているのだから。

 

それにしても、24年能登半島地震という無慈悲な自然現象に襲われ、昭和の建物は崩壊して、日常を奪われ激寒の闇夜に放り出された高齢者達や障害を持つ災害弱者の悲惨な心情は計り知れない。

 

心から、御身の安全を願い、お見舞い申し上げます。

 

 

 

 

数年前のニュー・イヤー・パーティー。

昭和の男と女。。。