三日間の若い後輩との芝居づくりと言う戯れは楽しく、久しぶりに身体中に、熱い血が駆け巡るのを感じた。

私とは初めての出会いとなる養成所の生徒たちと、特別参加希望の有志達の待つ稽古場へと、急いだ。

私の体調への気遣いからか稽古場は緊張感で張り詰めている。

と、その時一斉に「おはようございます、宜しくお願いします」と健康と若さに満ち溢れた元気が爆発しての大合唱だ。

抗がん剤の副作用の気怠さなぞ、一瞬に吹き飛び、驚くほど嬉しい。

若さは純粋な宝石だ。

 

それにしても今の若い新入生は、相対的に僕らの世代の若い時と比べると、たしかに器用だ。

だがそれだけでは、何かが足りないのだ。

私が彼らに望むのは、小器用な台詞こなしや、軽やかな身体の動きではなく、そこに、人間としての輝きを見る事だ。

人間それぞれの異質なもののぶつかり合い、つまり不調和な調和。そこに、演劇の面白さの一つがあるように思う。

 

台詞は人間の言葉なのです。

「どう美しく声を響かせようか、どう綺麗に発声しようか、どのような抑揚で喋ろうか」と工夫する時点で、そこにはもう人間の声は消え失せ、生活者の姿は見つかりません。

そのような俳優は、悲しいかな、いずれAI に簡単に取って代わられることでしょう。

 

台詞はあくまで、相手の思想を動かしたい為に用意された、生命ある言葉です。

己れと対峙し他人を知ろうと務め、人間を表現する人間か俳優と言う人間なのです。

それらを培う為には、先ず己れと、己れの中に存在する、他者を知らなければなりません。

 

では、この初々しい若者達に何を付与すればば良いのか。

それは前にも触れたように、まず知的感動を味わう喜びから始めなければなりません。

その為に前途ある君達に、私が最初に勧める事は、技術論でも芸術論でもなく、兎に角、あらゆるジャンルの、書籍を読み漁ってもらいたいと言う事です。

そこで、あなた方の知的感受性はより多くの人間の生き様を垣間見る事で知的感動を受け、広い知識を獲得する事で、自我意識に目覚めるのです。

そこに、あなたという個性が生まれるのです。

これらの事は、嘗て私自身、先輩から教わってきた事です。

その半分も、実行出来なかった慚愧の念を込めて、今改めて強く、若い後輩たちに伝えなければなりません。

 

それにしても、何ものにも変え難い幸せな三日間でした。

 

走りゆく今に縋りながら、感謝しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫達と戯れ闘った3日間が終わりました。