義母が亡くなった。
義母はかなり認知症が進んでいて、特別養護老人ホームに入っていた。
それでも、朦朧とした未知の世界から、子供達の呼びかけに、ハットして「あー、まこちゃん、法広」と数秒間、母を取り戻す母の姿があった。
そしてまた、母は母でなくなる。
何と無慈悲な現実だろう。
誤嚥性肺炎を患い、一時ホームから、病院に移り、嚥下もままならない状態の中、やむなく点滴に頼る栄養補給が続き、退院する時には、殆ど自力では、水さえも飲む力を失っていた。
医師から、「このまま入院を続けても、このコロナ禍では面会も許されず、好転することはないだろう。」と、家族との面会可能な特別養護老人ホームに戻ることを勧められた。
ホームでは、点滴は勿論医療行為は一切行わないが、自力で回復するのを待つという、「お看取り介護」という条件で、再びホームへ戻ることを快く許可してくれた。
水は唇を湿らすだけ、食事は、食膳を顔に近づけ匂いを嗅がすだけである。
それは、そうする事で、本人が食べようとする意欲に何とか目覚めてくれれば、という一縷の望みでしかなく、奇跡を待つ祈りのようなものだった。
それでも生きていて欲しい。
義母は、水分を摂取できないから、当然一滴の尿も出ない。
日々、痩せ細り、乾涸びてゆく。
一生懸命呼びかけるが、答えはない。
思いもよらず、ふと、目を目開いて答えようとするような、頷くような仕草をみせる時があった。
何が言いたかったのだろうか。
その懸命に生きようとする姿に、命の尊さと最後まで闘い抜く人間の尊厳がある。
優しい義母だった。
元気な頃はいつも笑っていた。
気を使い過ぎる人だった。
苦労して,苦労して
子供の為に生きた義母だった。
お義母さん、おやすみなさい。