今日は、五十四才の若さで世を去った小池朝雄氏のことを思う一日だった。
私にとって、最も尊敬してやまない先輩である。
週刊現代の「脇役稼業」と言うコーナーで、小池朝雄氏についての取材を受けた。
これには(名バイプレイヤーたちの生き方に迫る)と言う副題がついている。
悔しさが込み上げてくる。
あまりにも早い彼の突然の死に、一瞬私は未来を奪われ足元の地面が砂のように崩れ落ちて行く様な、小船で大海に放り出された様な、喪失感と絶望感に襲われたものだ。
それほどに大きな存在だった。
指導者であり精神的な支柱を亡くした私は、しばらく劇団とは距離をとり、ひたすら、テレビドラマやバラエティとマスメディアの世界に身を置く事になる。
思い返せば、福田恒存氏と芥川比呂志氏を筆頭に、文学座から分裂して創設した「劇団雲」が、皮肉にもこの二人の確執によって、「劇団雲」(後に「劇団昴」となる)と「演劇集団円」 に再び分裂する事になる。
私は、大きな人生の岐路に立たされる事になった。
正に、『雲か、円か、一体どちらが!...』の心境であった。
私が選んだのは、映像やブラウン管で活躍するスター達が集う「演劇集団円」ではなく小池朝雄氏の残る「劇団雲」だった。
その私の心を捉えたのは、小池朝雄氏の人間的スケールの大きさと、演劇に対する真摯な姿勢、それは毅然として輝き立つ舞台俳優の勇姿であった。
小池朝雄から奔り出る科白には、常に彼の内的世界を通した生きた言葉があった。
それは舞台俳優の抱え持つ、厳密な演劇の言葉である。
それらは、彼に内在する詩的世界と知的表現によって生かされ、輝きを放ち観客の心を動かした。
ただ流暢に、時には感情過多になり、あるいは綺麗事に終始するのではなく、彼の言葉から私は、目で聴き耳で見る、と言う奥深さを知り、おおいに刺激を受けたものである。
「刑事コロンボ」の吹き替えにしても、単に声優としてではなく、彼独特の舞台俳優としての主観的な、内面世界を通しての表現であったと思う。
過ぎ去った風景が、脳裏を駆け巡る。
思い出は限りなく、永遠に生きる。
今となっては、時計の針を戻すような非合理な想像に過ぎないが、もし小池朝雄氏と今日まで共に生きた「劇団昴」が在ったとすれば、今、我々はどんな景色をそこに見ているのだろうかと、天に向かって問いかけるのは、何故だろう。
後輩たちは、まさに暗中模索。暗夜に灯火を求め、目を凝らして闘っている。
小池さん、今もあなたが、夢の中に現れます。
安らかに。
アルベール・カミュ作 「カリギュラ」
左カリギュラ役 小池朝雄
右ケレア役 北村総一朗
ウイリアム・シェイクスピア作 「ジュリアス・シーザー」
右から ブルータス役 小池朝雄
トレボーニアス役 北村総一朗
シンバ役 内田実
キャシアス役 神山繁