今日、劇団昴公演『ラビットホール』が、千穐楽を迎えた。

昴にしては長期の16日間にわたる上演期間だった。

私は九日目に観劇したのだが、劇場に(と言っても稽古場も兼ねる)先ずその装置に驚かされた。稽古場の殆どを舞台が占め、客席は僅か六十人しか収容出来ない。

これは明らかに演出意図であり、確かに効果的だ。

その効果通り、芝居はその卓越した演出力と若手俳優の力演もあって、私の心を動かし堪能させてくれた印象深い舞台となった。

幼児を交通事故で殺めてしまった少年が、その家族を訪れ、パラレルワールド(並行宇宙)の話をしながら、悠々たる宇宙の無限の中に救いを求める姿は、まるで敬虔な懺悔をしている様だ。このシーンは圧巻であった。

そして突然発するベッカ(たった一人の息子を亡くした母親)の咆哮は、私の胸を突き抜け劇場に響き渡る。

 

折りしも、韓国・梨泰院の惨事で体育館の様な場所に無機質に並べられた遺品を前に、「歩いてるだけで死んでいく国がどこにあるか!」と、内臓の一部が飛び出さんばかりに泣き叫び、咆哮する母親の姿が重なる。

取り返しようのない喪失感がここにあった。見事な演出である。

 

ただ、巳んぬるかな、演出の顔が見えすぎる場面も見受けられた。

役者に要求する演出意図が、説明的に表現されている。例えば台詞のテンポや、相手の台詞を食う様に重ねる話術、意表付く様な独り言など。

これらの手法は、何よりも、俳優達が演出意図をまだ十分に消化出来ず、それを滞りなく具現化するまでには、今少し時間を必要とするだろう。

 

それにしても、若い有能な才能の出現はうれしい限りだ。

中でも「あんどうさくら」と「坂井亜由美」の、成長は素晴らしい。

とは言え、未だ残された多くの難題を溶解しようと、自ら積極的に未来を見据えて、あくまでも演劇に対して真摯に向き合ってもらいたい。それを心から願う。

透明で響き渡る単一な台詞回しの繰り返しに満足する事なく、襞や粘度、シワや迷いを持った人間の言葉が聞きたいのです。

 

それにしても觀客動員と言う面では、頭の痛いところだ。

それは「劇団昴」の芝居が旧態依然としてつまらないからだとお叱りを受けそうだが、それだけではない。

例え、芸術的に優れた舞台であっても、観客席が埋まるとは限らないのが現実だ。


コロナもその窮地に拍車をかけた。

 

ほとんどの「劇団」の悩みも観客動員に有ると言っても過言では有るまい。

劇団は旅公演を掴み取らない限り、東京公演だけでは、赤字続きなのです。

 

案の定、読売新聞の好意的な劇評が出る迄、寂しい客席であったのも事実だ。

公演中の新聞掲載が如何にありがたかったことか。改めて感謝するばかりです。

泥濘道は、まだまだ続く様で有る。