義父の遺して行った行李を、こんな際だからと、何気なく開けてみると、懐かしいレコードが色々出てきました。思わず手にとってはみたものの、今やレコード・プレーヤーがありません。

それでも無性に聴きたくなって、だから、すぐに近くの家電量販店へと急ぎました。

 

慌てて買ったレコード・プレーヤーにはラヂオも付いていて、そればかりか、CDプレーヤーにSDカード、それにカセットまで内蔵しているのですら、否が応でも時代の流れを感じずにはいられません。

 

 

早速、家にあったスピーカーに接続、浮き浮きしながらショパンのピアノ曲を聴いてみると、 その音の想像以上の素晴らしさに驚嘆し、すっかり忘れてしまっていた、蓄音機の虜になってしまい、また、その機能にも人間味が感じられて妙に嬉しくなります。

 

レコード・プレーヤーと言えば、辛くて苦い思い出が、蘇ってきます。故郷、土佐の高知で終戦を迎えた私は、蓄音機とラヂオが一対になっていて、その下に飾り戸棚が付いている電蓄の前に、隣近所の人たちが5・6人集って来て、敗戦を告げる玉音放送を、拳を固くを握りしめ、肩を震わせながら聞いていた姿を、幻のように、覚えています。

 

あれから、もう何年が過ぎていったでしょうか? 

 

それにしても、とっくに過去に置き忘れ、捨て去ったはずの蓄音機の楽しみを、コロナが再発見させてくれるとはなんとも皮肉なものです。

 

とは言え、同時にこのコロナ禍で「外出自粛」「東京アラート」等と言う言葉を聞くと、少なからず私たちの世代の人間には、戦争中の「空襲警報解除」や「警戒警報発令」と言う事態を彷彿とさせ、いち早く部屋の電灯を黒い布で覆い隠して、防空壕に飛び込んだ、あの忌まわしい悪夢が、再び襲って来るような、見えない大きな敵が侵攻してくるような、不気味で不安な気持ちになるから、厄介です。

 

いやはや、一体いつになったら、劇場に観客を堂々と招き入れ、客席・舞台とお互い安心して、芝居が上演できるようになるのでしょうか。

 

三密を避け、うがいをしてマスクをつけて手を洗い、ステイホームで頑張っても、感染した人がいると聞けば、なんとも不可思議で、もどかしい気分になりますが、例えばそれが、戦車に竹槍で向かって行く様な空しさだとしても、これが敵と戦う最適の武器だとすれば我々は、ひたすら個人の責任として、粛々とこれを守って行かなければなりません。

 頑張りましょう!